小説 川崎サイト

 

珠御前

川崎ゆきお



 妖女。そう呼ばれるまで、かなり時間がかかった。
 村の長者、この場合、領主に近い。殆どの田畑や周辺の山々は、この村瀬家のものだ。大地主であり、農林畜産さらに交易の経営者でもある。
 当主惣右衛門は円満、穏和な人物で、小作人に酷いことをするような人物ではない。村瀬家六代目で、生まれながらの大金持ちのためか、世間知らずが玉に瑕。
 珠御前と呼ばれる第二婦人、つまり妾を囲っているのだが、よくあることで、身分から考え、一人だけなので好色家とは言えない。その本音はまともで、跡取りが必要なのだ。すでに二男一女を授かっているが、それでは心許ない。
 ここまでは何の問題もない。あるとすれば珠御前なのだが、物静かな女性で、問題を起こすようなことはしない。何処かから流れてきた旅芸人の娘だが、本当の親ではない。そのため、珠御前の縁者はいないに等しい。
 では、何だったのか。村瀬家が傾きだしたのは。
 その兆しが現れたのは二年前。ちょうど旅芸人の娘を妾にした頃からだ。
 二年後の今、珠は御殿に住んでいる。母屋ではなく、離れなのだが、それが立派すぎるのだ。それで御殿と呼ばれ、珠のことも珠御前様と呼ばれるようになった。
 珠が望んでそんな御殿をねだったわけではない。閨の一言でそんな出費をするような当主ではない。馬鹿殿ではないのだ。
 ここに妖女と呼ばれることになる珠御前の怖さがある。
 惣右衛門が進んで建てたのだ。
「女のあそこには田圃でも山でも何でも入るわな」
 口の悪い小作人が、その噂を始めたのは田が消えたからだ。惣右衛門が売ったのだ。御殿程度の建物なら、そんなことをしなくても建つだけの甲斐性はある。
 珠に使った金はそれだけではないのだ。
「珠御前は占い師でな。魔法の珠を旦那様にねだったらしいぞ。あれで、妙なマジナイをやるらしい。その珠、そんじょそこらじゃ手に入らん。非常に高いものじゃ」
 珠御前はそんな珠をねだったこともないし、呪術を使うわけではない。これも惣右衛門がそう思い込んで買って与えた。今では珠御殿奥の床の間に鎮座している。当然、珠御前はその使い方さえ知らない。
 村瀬家の家人、これは家来というよりも番頭のようなものだ。その中の年老いた大番頭が心配し、村瀬家の菩提寺へ相談に行った。
「はて、それはどうしたことかのう」
 さほど徳も知恵もない住職は解決策を見出せない。大番頭もそれを期待していない。ただ、珠御前が入り込んでから家が傾いた。惣右衛門がおかしくなったことを認めさせた。
 これは誰が見てもそうなので、認めるも認めないもない。
「では、どうするか」
 問題は、これだ。観察していても仕方がない。何とかしないと村瀬家は荒れ、農地も山も荒れる。よそ者の手に渡れば、今まで通りの牧歌的な暮らしも出来なくなる。この一帯は村瀬家により秩序が保たれているのだから。
 そこで大番頭が提案した。妖女退治をすることを。
 村の中に昔から祈祷が得意な家筋があり、そこの老婆に白羽の矢を立てた。
 老婆は祈祷を副業としていたが、この家も傾いている。御利益がないためだ。ここで妖女を倒せば評判が上がり、家が栄えると見た。
 祈祷婆は村瀬屋敷敷内の奥にある珠御殿まで入り込んだ。それは惣右衛門が通したのだ。彼も、珠が妖しいことを知っていたのだ。しかし、魅入られたようになり、どうすることも出来ない。祈祷婆が菩提寺からの依頼でもあり、元を正せば村瀬家の大黒柱である大番頭が命じたものだけに、もっけの幸いなのだ。本来なら、惣右衛門自身が頼むところだった。
 しかし、祈祷婆の祈祷は失敗した。逆に珠御前の眷族になってしまう。
 大番頭は再び菩提寺住所と相談し、寺の総本山から高僧を呼ぶことにした。徳も威厳もある人物で、当然知恵もある。
 しかし、この高僧も駄目だった。珠御殿に乗り込んだまではいいが本尊のように鎮座している床の間の珠を拝みだしたのだ。
 これでは珠御前の威勢が上がりすぎる。しかし、珠御前にはその気は一切なく、祈祷婆も高僧も進んでひれ伏したのだ。
 菩提寺の住職はない知恵を賢明に働かそうと、本堂の縁で考え込んでいた。いくら思案しても出てくるものではない。また、大番頭が来て、何か指図してくれるはず。それを待つしかない。
 そのとき、ふと境内の隅を見ると、動くものがある。庭掃除をしている寺男だ。普段は墓掘りや墓守ばかりやっている男で、小作人の三男坊。人の嫌がる墓掘りや、埋葬を手伝っている。この三男坊、名前はいつの間にか三男坊と呼ばれるようになっている。名付けるほどのことではない。とるに足らぬ小物なのだ。
 知恵も徳もない住職が思いついたのは、この三男坊を刺客にすることだった。
 総本山の高僧に恥をかかせた。祈祷婆はいいとしても、面目が立たないだろう。逆に恨まれる。それなら、何と言うこともない奴に頼む方が気が楽だ。住職の知恵はその程度だった。
 三男坊は住職から、たっての頼みとして頭を下げられ、感動した。これで厄介者の汚名を晴らせると思ったわけではない。こういうややこしい仕事が好きなのだ。
 三男坊は山裾の墓地から仕事道具の板を取り出した。埋葬のときに使う道具だ。墓では金具は使わない仕来りがあるためだ。そして、このしゃもじとも、ヘラともコテとも言えない板は、墓を丸く固めるときに使っていた。ぺったんぺったんと。
 それを武器とし、すぐさま村瀬屋敷へ駆けつけた。
 話はまだ伝わっていなかったが、寺男も馴染みの顔なので、大番頭は三男坊を奥の珠御殿へ向かわせた。
 惣右衛門は心配そうに見ている。
「大丈夫だろうか、番頭さん」
「なーに、策がなければ総当たりだ。やるだけやらせましょう」
「しかし、あまり手荒なことは」
「そんなこと、言ってられませんよ。家が傾きだしているのですから。原因ははっきりしてるじゃありませんか」
「うむ、そうじゃな。わしも何とかしたいのだが、何ともならんのだ」
 猪武者と言うのがいる。猪突猛進の武者だ。一直線に突っ込む。三男坊もそのタイプだった。
 珠御殿の戸を蹴り倒し、出てきたお付きの下女や。眷族になった祈祷婆を鬼のような形相で睨み付ける。もうそれだけで、女達は腰を抜かした。
 そのまま廊下を真っ直ぐ奥へ。
 御殿とはいえ、数間の家で、珠御前を探すのは訳がない。すぐに見つけだし、問答無用とばかり、木の板で叩き付けた。
 珠御前は驚いた。何の説明もなく、いきなり板で叩きに来たのだから。まるで、百叩きの刑罰だ。
 珠御前は大人しい女性なので、なされるがままだ。
 そのうち悲鳴の声が変わり、獣の呻き声となる。
 ここぞと、三男坊、満身の力を込め、強打する。
 すると、珠御前の姿が白キツネに変わり、そのまま逃げ出した。文字通り屋敷から叩き出したことになる。 
 これで、珠御前の怪は終わった。神仏の力ではなく、単純な猪武者の攻撃で。
 三男坊の活躍で、傾きだしていた村瀬家は元に戻った。三男坊の大変な手柄だ。
 しばらくして、山で白キツネが死んでいた。弔いを生業にする墓守の寺男三男坊は、それを丁重に弔った。よく考えれば珠御前、別に何も悪いことなどしていないのだ。それに無抵抗な珠を叩いたことを悔いた。
 その後、惣右衛門は遺言の中に、三男坊を菩提寺住職にし、山南坊と名を改めるように伝えた。
 経の読めぬ住職だが、鬼神も寄せ付けぬ形相のため、誰も文句は言わなかった。
 後、この住職の血筋から、鬼退治で有名な武者が出るのだが、かなり後の話だ。
 これも余談だが、キツネ退治は、いくら何でも嘘で、三男坊は脱げだした珠の傷を気遣い、山の奥に匿い、介抱した。珠は悪いことなど何一つしていない。しかし、それが妖女の妖女所以だろう。
 三男坊の子孫が鬼神退治で有名な武者になったのは、珠の血を引いていたためかもしれない。
 
   了



2014年3月30日

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