小説 川崎サイト

 

消えたヤモリ

川崎ゆきお



「ヤモリですかな」
「はい、トカゲのような」
「ああ、イモリとよく見違える奴ですな」
 老婆が妖怪博士に相談している。ヤモリとイモリの違いを聞いているではない。腹が赤い方がイモリだ。
「ヤモリがどうかしましたかな」
「捨てられたのです」
「ほう」
「私が驚いたので、ちょうど遊びに来ていた甥が摘み出したのです」
「掴んでですかな」
「はい、料理用の分厚い紙で」
「それは勇気がいる。気味悪かったでしょ」
「甥は、そういうのが得意なのです。蛇を見ても驚きません」
「で、それで、何ですかな。何が困りごとなのですかな」
「ヤモリは手洗いにいました。こんなところで見るのは初めてです」
「初めて」
「はい、だから驚いて、悲鳴を上げてしまいました。手を洗おうと蛇口に手を乗せようとしたとき、洗面の中にいたのです。最初は何か落ちていると思いました。洗面の上は棚でして、そこに洗剤やタワシなどを置いています。他にもいろいろと、それが落ちたのだろうと思いました」
「はい」
「それが動き出したので、驚いたのです。洗面に落ちたのを拾おうとしたときでしたから、それが動いたので、ついうっかり、声を出してしまいました」
「その悲鳴を聞いて、甥御さんが」
「悲鳴というか、何か声を出したかったのでしょうねえ。怖かったと言うより、ああ、ヤモリかというような感じで」
「それで、甥御さんが」
「はい、すぐに摘んで、捨てに行きました」
「そうですねえ。ヤモリは結構大きいでしょう。殺すほどでもない」
「はい、そうなんですが」
「何か」
「捨てられたのです」
「ああ、捨てに行ったのですからな」
「表通りの植え込み辺りに捨てたと言ってます」
「それで良かったのではないのですか。一般的には」
「はい、どちらか分かりません。戻って来られると嫌なので、遠くへ捨てて来いと甥には言いましたが」
「ヤモリが戻って来ると」
「はい」
「一般的、いや、それほどでもありませんが、ヤモリは家守と書き、家を守っているのですよ。家の宮とも書きます」
「知っています。だから」
「捨てたことが気になると」
「でも、戻って来て欲しいような、欲しくないような」
「初めて洗面でヤモリを見られたと言われましたね」
「はい、そうです。いつもは奥の仏間の壁に、たまに姿を見せます。定期便のように」
「時間が決まっているのですか」
「はい、壁を這うコースも決まっているのです」
「じゃ、ヤモリはいつもよく見かけると」
「季節によって違いますが、この時期はよく見ます。仏間なので、あまり入らない部屋ですから、私が見ていない日にも、出ているんじゃないでしょうか」
「じゃ、そのヤモリとは顔馴染みじゃな」
「はい、そのヤモリかどうかは分かりませんが」
「まあ、似たような形をしておるからなあ。何代目かさんだろうのう。代々家を守っておるのかもしれん」
「はい、それが気になって、表通りの植え込みを探しましが、いませんでした」
「それはどういうことになりますかな。お婆さん」
「はい、今は戻って来るのを期待しています。やはり、摘まみ出すべきじゃなかったと。それからしばらく経ちますが、仏間の壁を這うヤモリはいません。あれは、やはりなくてはならないものだったのです」
「はい」
「亡くなった爺さんや、ご先祖さんが、ヤモリの形に身を変え、ああして散歩している間は、この家は大丈夫だと」
「散歩ですか」
「はい、私はそれをヤモリの散歩だと思っていました」
「それで相談とは、ヤモリが欲しいと」
「いえ、あのヤモリじゃないと駄目なんです。他のヤモリでは事情を飲み込んでいないと思います。私の家にずっといるヤモリじゃないと」
「じゃ、ヤモリを探してくれ、ですかな」
「そんなことで博士を煩わせるつもりはありません」
「はい」
「ヤモリには帰る気があるのでしょうか」
「はあ」
「だから、ヤモリは自分で帰る気があるのでしょうか」
「ああ、そうですなあ」
 妖怪博士は思案した。
「はい、じゃ、戸口を少し開けてください。表の戸は不用心なので、窓を少し開けてくだされ」
「そうですねえ。簡単なことだったんですわね」
「やはり戻って来ない方がいいと、思う面があるのでしょ」
「はい、洗面の中にいたので、二度と見たくないと」
「しかし、よく考えると、そのヤモリ、由緒正しき家の守り神の化身」
「そうなんです。薄気味悪いですが、やはりそうだと思い、考え直したのですが、まだ決心が」
「もうお付きでしょ。だから、私のところへ相談に来たのでしょ」
「もし守り神なら、戻って来ますよね」
「はい」
「甥が摘み出したのを怒ってはいませんよね」
「はい」
 その後、あのヤモリは戻って来なかった。
 しかし、半年後、仏間の壁に再びヤモリが現れ、散歩を始めた。
 老婆はすぐに妖怪博士に連絡した。
「形は」
「少し小さいです」
「じゃ、次の代のヤモリでしょう。跡継ぎがいたのでしょうなあ」
「はい」
「洗面で見られたヤモリは年寄りヤモリで、ぼけていたのでしょう。だから、そんなところに迷い込んだと見るべきでしょうなあ」
「今度はそっと見守ります」
「お婆さん、家を見守っているのはそのヤモリですよ」
「ああ、そうでした」
 
   了


 


2014年4月9日

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