小説 川崎サイト

 

ある顔役

川崎ゆきお



 特に力はないのだが、その場でのヌシ、ボスになっている男がいる。しかし、リーダーではなく、肩書きもない。
「田村さんが頷かないんですよ。これは否決ですねえ」
「そういうことになりますか」
 とある保存会に田村という男が参加している。会長でも副会長でもなく、場を仕切る男でもない。しかし、いつの間にか田村の顔色を伺うようになっていた。
 その秘密はよく分からないが、出席率の問題だろうか。会合には必ず来ている。しかも第一回目からだ。保存会発足当時の発起人ではない。一般の有志だ。
 会長は何代目かになる。つまり、田村は古参なのだ。ただ、古参はいくらでもいる。しかし、田村だけは一度も欠席したことがない。また、活動のためのイベントにも必ず参加し、準備から掃除まで付き合っている。当然打ち上げも最後まで残る。
 この田村は人に影響を与えるような人柄ではない。つまり、会合でも殆ど意見は言わない。黙って座っている場合の方が多い。
 ただ、全ての場に参加しているのは田村以外一人もいない。
 今までの経緯を全て知っている。その割には、過去の経緯などを盾や矛のようにして、もの申すようなこともしない。いたって穏和で大人しい人だ。
 しかし、いつの間にか周囲は、田村の顔色を見るようになってしまった。
 田村の顔色とは、表情だ。愉快そうだと賛成なのだ。むっつりしていると、反対なのだ。
 これは無視していい。ただの表情にしかすぎない。意見があれば言えばいい。そうすれば議題に上る。そういう意見もありますよと。
 しかし、田村はただ単に参加しているだけで、これまで何一つ自分から言い出したことはないし、もめ事があっても、その渦には加わらない。静観しているのみ。
 何ら力はないのだ。
 しかし、会合などで田村が入ってくると、みんな一礼する。これは古参ではなく、すでに長老なのだ。会長ではなく、大会長なのだ。
 何も言わない喋らない。ただそれだけに徹しているのは、ないからだ。意見が。あまり考えていないらしい。ただ、そういう保存会などに参加するのが好きなようで、人が集まっているところにいるのが好きなのだ。それだけの人。
 田村がこの会での貢献度は殆どない。しかし、敢えてあるとすれば、必ず出席していることだ。これは誰にでも出来るのだが、意見の食い違いなどで、辞めていく人もいる。
 田村にはそういうことはない。意見がないためだ。ただ、全くないわけではない。その場合、顔色に現れる。これが唯一の意見的な表示なのだ。
「やはり田村さんがあの表情では、この案は駄目でしょうなあ」
「そうですねえ。違う案をまた考えましょう」
「はい」
 
   了
 
 


2014年5月16日

小説 川崎サイト