小説 川崎サイト

 

人参と馬

川崎ゆきお



「昨日あったことをエネルギーにしておる」
「はい、エネルギーとは。つまり、昨日栄養のあるもの、カロリーをとれば、それが今日のエネルギーになるという話ですか」
「朝食べたものは、昼にはもう腹が減るだろ。翌日まで持たん。だから、そういう意味ではない。精神的なもの、ここでは人参を意味しておる」
 聞き手は、人参でぴんとくればいいのだが、そうはいかない。
「人参を食べるのですか。ニンニクとか、朝鮮人参じゃなく」
「食べ物の話ではない。ここでは西洋人参でもなんでもよい」
「お節料理に出る人参は好きです。あれは日本人参でしょ」
「そうではない。馬じゃ」
「ああ、馬が食べる人参」
「鼻先に釣り糸で人参をぶら下げておけば、馬は人参を食べようと、歩を一歩出す。人参に釣られるわけじゃ」
「それは場所ですか」
「え?」
「だって、釣り竿を持ちながら乗馬はしんどいでしょ」
「そういう話ではない。精神的なことをいっておる。人参とは餌だ」
「馬の」
「人が欲しがっているものじゃ」
「報酬ですね」
「そうそう。それをここでは省略して人参と言っている」
「最初から、そう言ってくださいよ。もったい付けないで」
「ああ、悪かったのう」
「それで、昨日あったことを今日のエネルギーにするとはどういうことですか」
「よう、覚えておったなあ」
「だって、今日のお教えのタイトルがそうなってましたから」
「君だけのためにつけたお題じゃ。有り難く思いなさい」
「月謝払っていますから」
「そうか、じゃ、本題に入る」
「眠くないですか。その話」
「ない」
「本当ですか」
「まあ、聞け」
「はい」
「昨日善いことがあると、今日もそんな善い目に遭いたくなるもの」
「はい」
「終わった」
「もう終わりですか。早いです、師匠」
「長いのは嫌いだろ」
「そうですが、人参の話の方が長かったですよ」
「だから、昨日の善いことが人参なんじゃ」
「それは連鎖の話ですか」
「そんな難しい話ではない」
「はい」
「人と参で人参だ」
「ほう」
「だから、ただのニンジンではないぞ」
「西洋人参でも、朝鮮人参でも鳴門金時人参でもないのですね」
「人、参る。じゃ」
「どういう意味ですか師匠」
「降参しました。参りましたの参じゃ。だから、この人参は効く。そして、この人参に人は引っ張られる。馬ではないが、脳の海馬に来る」
「それで、どういう効能が」
「今日も昨日のように楽しく過ごしたいなあ、程度だ。その気持ちが起こるのは、昨日、善い日だったからだ」
「悪い日もあるでしょ」
「ある」
「そういうときは」
「善かった日の在庫の人参を使う」
 弟子はそれ以上聞かなかった。
 
   了
 


2014年5月22日

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