小説 川崎サイト

 

霊が見える

川崎ゆきお



 長雨が降る日々のためか、妖怪博士は鬱陶しそうな顔で編集者と話している。
「鬱陶しい」
「空模様ですね」
「頭が痛い」
「大丈夫ですか、博士」
「ただの低気圧の影響じゃ、気にしなくてもよろしい」
「それで今日なのですが」
「今日、何かあったかな」
「いえ、少しお聞きしたいことがありまして」
「何じゃ、改まって、いつも前置きなしに聞いてくるじゃないか」
「ああ、そうでしたか」
 妖怪博士付きの編集者が語りだした。
「霊が見える?」
「はい」
「幽霊も見える。うむ」
「そういう人達は何を見ているのでしょうか」
「だから、霊を見ておるのじゃろう」
「そうでなく、博士。どういう見え方をしているのでしょうか」
「さあ、私は見えないので、分からない。だから、私に聞いても無駄だよ」
「妖怪もそうですが、勝手に見えるのでしょうか」
「霊のことは知らぬが、妖怪の見え方についてなら」
「教えてください。やはり頭の中だけの話ですよね」
「先に解を言うじゃない」
「はい」
「しかし、目で物を見ても、結局は頭の中で見ているようなものだからな」
「そうですねえ。結構想像で補っていると聞きます」
「しかし、妖怪が見える場合は、補うも何も、それが見えるわけじゃ」
「だから、それは全部頭の中の世界ですよね」
「同じように、その物を別の人が頭の中で見たとすれば、それは個人が勝手に見たわけではなくなる」
「回りくどいですよ。博士」
「直接説明出来ん世界だからじゃ」
「早く、要するにを言ってください」
「要するにだ」
「はい、それそれ」
「要するに嘘を見ておるんだ」
「はあ、嘘を」
「そうじゃ。嘘絵じゃ」
「ぜんぜん、要するに、じゃないですよ」
「しかし、本人は嘘をつく気などない」
「だから、博士、その映像はどうして生成されるのですか」
「組み合わせじゃ」
「合成ですね」
「あり物でな。妖怪のミイラがそうじゃ」
「しかし霊は手で触れませんよね」
「ああ、しかし、いると思うと、手に感触がくる」
「あああ、はい」
「それを幻覚と言ってしまいすぎると、いけない」
「何が、いけないのですか」
「さあ」
「博士、要するに、がないですよ」
「低気圧でしんどいのじゃ」
「はい」
「ここのニュアンスが大事でな。幻覚と言い切ると駄目なんじゃよ」
「でも、幻覚なのでしょ」
「だから、説明しづらいと言っておるじゃろ」
「妖怪も幽霊も見たことのない博士なので、説得力がありません」
「見ていないから、呑気に言えるのじゃ」
「はい」
「見えたか、見えなかったのかは、微妙なところでな。見えたようにも思える的な見え方もある」
「やはり、それは錯覚でしょうか」
「だから、錯覚という言い方だけで括ると、駄目なんじゃ」
「何が」
「何がって、君、その物が隠れてしまう」
「僕が考えますところでは」
「君は妖怪博士か」
「違います。一般人代表としての見解ですが、最近本物が減ったのです」
「本物?」
「はい、本当に見える人が減ったのです。そして、嘘をついてい人が増えました」
「ほう」
「それは、警戒しているんです。本当に見える人達が」
「病気と思われるからかな。または薬でも飲んでおると思われるからかな」
「それもあります」
「そうじゃなあ、昔は頭が痛い子が結構いたのう」
「そうでしょ。平気で、変なのが見えるって言ってましたでしょ」
「ああ」
「それは本当に見えるから、危ないから」
「何が危ないのじゃ」
「そういうのが見えると言い出すと、変に思われて危ないからです」
「要するに」
「今度は、しっかりと結論を下してくださいよ」
「前からある物は、あるんだ」
「な、何が」
「聞いておらんのか、幽霊や妖怪は、ずっと前からあるんだ」
「だから、見える人には見えるのですね」
「そこが違う。見えると言うからおかしくなる」
「あ、はい。じゃ、感じるとか」
「そうじゃな。感じた物を一応形として頭の中で映像化するのだろう」
「じゃ、感じが先行するのですね」
「これを気配という」
「はい」
「物の気配」
「物の怪」
「形は後じゃ」
「しかし、妖怪博士、見たこともないのに、よくそこまで言えますねえ」
「いや、多少は感じるぞ」
「はい」
「しかし、形に持っていく力はない」
「それは頭の中の映像エンジンのような物の差でしょうか」
「目だけではなく、五感がある」
「さらに第六感以上があるのでしょ」
「五感までで止め置きなさい」
「なぜですか」
「ややこしい」
「あ、はい」
 妖怪博士は頭が痛くなってきたようだ。そういう話をするからではなく、長雨の低気圧の影響で。
 
   了
 
 

 


2014年6月1日

小説 川崎サイト