小説 川崎サイト

 

水郷の宿

川崎ゆきお



「眠くなるから注意してくださいよ」
 改札で駅員が旅人に注意を与える。
 水郷の里として売り出そうとしていた観光地だが、何をやってもぱっとしない。そのうち諦めて、観光地化は取りやめになった。
 交通の便が悪い。鉄道の駅は支線で、二時間に一本。湿地なのだが、耕作面積は少ない。湿地すぎて水が多すぎるのだ。
 水草が生え茂っているのだが、雑草だ。あまり美しくはない。しかし、カッパでも出そうな雰囲気がある。
 どこからが湖なのか、湿地なのかが分からない岸に宿屋がある。昔からありそうな商人御宿のようだが、何度か建て替えられているので古くはない。
 季節は雨期、湿地がさらに湿地らしくなる。雨が降っていなくても、霧がかかり、空気に水が多く含まれているのか、その湿気具合は尋常ではない。合羽など着た瞬間、もう蒸れて汗がにじみそうだ。
 旅人の田村は、こういう人が来ないような町を訪ねるのが好きなので、あえて、この水郷を選んだ。観光地化に失敗したので、大きな水車などは修繕しないまま腐り果て、湖に出る帆を張った漁船も、今はない。
 田村は三日滞在した後、もう動かなくなった。最初一日の予定だったが、湿気のためか、体が重くなり、見て回るペースが落ちたのだ。水面から出ている鳥居のある神社とか、船着き場があった一帯など、まだ残骸が残っているため、写真にしたい風景が結構あることも原因している。
 しかし、三日後からは外に出なくなっている。特に病んだわけではないが、布団を上げてもらわないで、そのままにしている。
 眠いのだ。
「眠くなるので注意してくださいよ」と、駅員が言っていたことを思い出す。確かに眠い。
 トイレへ行くとき、廊下から他の部屋が見えたことがある。田村の部屋と同じように布団が上がっていない。
 田村は海外の怪奇小説で、そういう話を読んだ覚えがある。それと違うのは、その気になれば、すぐにでも旅立てることだ。その気を起こすのが何となく億劫なだけで、動くのが面倒なだけ。
 一週間経過し、これはまずいと思い、出ることにした。休暇は既に終わっているし、宿賃も払えなくなりそうだ。カードがあるので、何とかなるが、それでは使いすぎになる。時間もだ。
 そして、すんなりと商人御宿を田村は出た。
「眠かったでしょ」
 あの駅員がまた声をかける。
「よく眠れる宿屋なので、よかったです」
「それは何より、またいらしてください」
「はい」
 時刻表を見て駅へ向かったので、待ち時間は短い。
 列車はすぐに入ってきた。
 ドアが開いたので、すぐに乗る。一両編成の各駅停車。本線の駅まで出て乗り換えれば、都心まで一直線だ。
 そして、列車は走り出す。こんなところを通ってきたのかと思うほど、風景が来るときとは違っていたが、まだ眠いので、田村はあまり気にしなかった。
 
   了
 

 


2014年6月12日

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