小説 川崎サイト

 

夢見の里

川崎ゆきお



 夢見の里と呼ばれている隠れたる観光地がある。自然の景観が豊かで、というわけでもない。平凡な山里だ。観光として特に見て回るものはないのだが、別のものが見られる。
 夢見の里は万年の宿とも言われている。その寒村が言い出したことではなく、来た人が言っている。
 万年とは万年床の意だ。この場合の床は寝床を指す。実際には布団だ。要するに万年床の宿の意味だ。
 万年床の布団。そして夢見の里、これだけで大意は分かるだろう。景観は布団の中にある。夢の中だ。
 宿は大きな二階屋の農家で、三階はないが、屋根裏部屋もある。ここにも布団が敷かれている。宿では布団を上げない。食事は大広間でまとめてとる。
 客は療養客ではない。寝にきているのだ。ある人は昼寝の里とも言っている。宿泊しないで、昼寝だけして帰る。
 少し高いところにあるため、夏でも涼しい。本瓦の大きな家なので、それだけでも涼しい。当然庭木が神社の森のように茂っている。網戸もあるが開け放してもいいように蚊帳も用意されている。
 夢の中身は個人の問題で、宿屋がどうこう出来ることではない。実際に何も夢など見ないで起きてくる人もいる。当然悪夢でうなされる人も。
 それでも、この夢見の宿で悪夢を見ると、憑き物が落ちるらしい。悪いものが消えるとか。
 それよりも、万年床でぐったりしているのがいいのだろう。怠けている感じがたまらないらしい。
 この村には昔、若者宿の慣わしがあったようで、宿ではないが、村の隅にお堂跡がある。狭い堂だが、寝泊まり出来たらしい。表向きはお籠もり堂だ。若者宿は男性だけとは限らない。
 万年床の宿には大部屋もある。大きな座敷ではなく、複数の人が雑魚寝出来る部屋だ。布団が敷き詰められ、まるで修学旅行だ。
 昔のお籠もり堂の慣わし残っているのか、共同だ。男女の。ただし子供は入れない。
 老人達はここを発展場と呼んでいたが、夜になると、何でもありになったようだ。ただし明かりはすべて消してある。
 ただ、評判はあまりよくなく、そのうち、この大部屋は消えた。
 噂によると、厚化粧した老婆を見かけたとか。
 それもまた夢の中の出来事と思えば、思えなくはないが、やはり、かなり違うだろう。
 万年床で夢を見る。夢見の里は静かに続いている。
 
   了
 
 



2014年6月20日

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