小説 川崎サイト

 

ノマド

川崎ゆきお



「増田さんは喫茶店で仕事をするのですか」
「はい、部屋ではしません」
「確かご自宅がオフィスだと聞きましたが」
「ああ、だから、喫茶店でも同じなのですよ。パソコンやスマホがあれば」
「いわゆる、あれですねえ」
 言葉が出ないらしい。忘れたのだ。
「えーと、何て言ったかなあ、サーカスじゃないし、さすらい人ではないし、旅芸人でもないし」
 増田は、すぐにその言葉を言おうとしたが、こちらもど忘れした。使ったことなど一度もないからだ。
「あれですよね。あれ」増田が言う。
「そうそう、あれですよ。あれ、モニターじゃなく、幌馬車でもなく」
「常に移動している種族のような奴でしょ」
「サポーターでもないし、増田さんも思いだしてくださいよ」
「ヒッピーじゃなく」
「そう、そうじゃなく、もっと素朴な民族的なものか、職種かなあ」
「山の民とか」
「いやいや、そうじゃなく」
「分かっていますよ。出てこないのです」
「だから、増田さんのことですよ」
「決まった場所で、仕事をしないで、オフィスを構えなかったり、会社の外で仕事をするような感じの」
「それそれ、特にフリーの人がやっているような感じで。これも増田さんそのものなんですが」
「昔からいましたからねえ、ただの個人事業主でいいんじゃないですか」
「喫茶店なんかで、仕事して、また、別の場所へ移動したりして、そこでも、またパソコンなんかを開いてメールを書いたり、調べものも、その場でやったりとか」
「はいはい、やってます。ああ。思い出しました。ジプシーです」
「え、ジプシー」
「ジプシーでしょ」
「いや増田さん、違うと思いますよ」
「ジプシーじゃないですか」
「近いと思いますが、それじゃない」
「普段使わないですからねえ、たまに聞くことはありますが」
「ヤンキーでもないし」
「ノルマじゃないですねえ」
「違います」
「ノルマンディーかも」
「上陸作戦ですね」
「ノマドだ」
「ああ、ノマドだ」
「やっと思い出しましたよ。ノマドですよ」
「でも、その言葉、もう遠くへ行ったんじゃないですか」
「そのようですねえ」
 
   了
 




2014年6月24日

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