小説 川崎サイト

 

扇風機と怪談

川崎ゆきお



 長田は長く使えるものをいつも使っているのだが、最近周期が短くなった。特に家電ものはそうだ。まだ使えるのだが、新製品を見ると、かなりよくなっている。それを見てしまうと、今使っているものでは我慢出来なくなる。同じ目的の家電なのに別のものを使っているように思えてならないからだ。それよりも、そんな時代遅れのものを使っている自分が許せない。ただ、ポリシーとしては長く使えるものが好ましい。常に新製品に乗り換えていたのでは、そのポリシーに反する。しかし、我慢出来ない。
 と、考えているとき、ふと扇風機を見た。暑いので扇風機をつけていたのだが、回っていないのではないかと、見たのだ。もし回っていなければ、もっと暑いだろう。そして実際には回っていた。動いていたのだ。そのことではなく、かなり古い扇風機なのだが、買い換えていない。よく考えてみると炊飯器も電気ポットもそうだ。
 ここで分かったことは、興味のない家電は気にならないことだった。扇風機は羽根が回っていればいい。プロペラの設計や、風を送り出す仕掛けで、よりよい風、マイルドな風になるかもしれない。きっと新製品なら、今までにない風を送ってくれるかもしれない。しかし、興味がない。扇風機そのものの限界を知っているからだ。そして暑いときは、扇風機だけでは何ともならない。
 さて、ポリシーだが、この扇風機、買ったのはいつなのかは忘れた。ただ、買うとき、何も考えないで買っている。ポリシーである長く使えるものの査定は受けていない。家電店で、持って帰りやすいように小さめのにした。ただ、色は黒にした程度だ。
 こういうものにも寿命があり、下手をすると火を噴くなどのニュースもあった。涼しいどころか、熱い話だ。
 毎年毎年夏になると、押し入れから引っ張り出している。かなり使っているのだ。長持ちかどうかは分からないが、結構持っている。買うとき、長く使える堅牢なものという条件をはずしたのは、扇風機のためだろう。喜んで買うほどのものでもなく、また愛着も沸きようがない。出来れば使っていないときの方が快適なのだ。暑くてどうしようもないから、使うだけで、積極的に使って楽しむようなものではない。
 ここで長田は一つ分かった。それは愛着の問題だ。愛着が沸くものなら長く使うことを前提にしていたと。そこでポリシーが発する。ただ、扇風機ごときでは、愛着が沸かないので、ポリシーも作動しない。
 そうなると、物や物事全体に課しているポリシーではなくなっている。限定的なのだ。だから、これはポリシーではないのかもしれない。
 ただ、最近はこの扇風機、少しだけ気に入っているところがある。それは断末魔だ。扇風機が壊れるときの音ではない。
 扇風機を止めるボタンを押した後、怪談の曲が流れる。幽霊が出る前に流れる効果音だ。あれがする。ヒューン、ドロドロドロ……と。
 
   了



2014年7月23日

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