小説 川崎サイト

 

ふと思い出す

川崎ゆきお



「よく、ふと思い出すとか言いますねえ」
「ああ、ふっとね」
「そのふとって、何でしょう」
「だから、ふと思い出したり、ふと気付いたり、ふと見たりするんだろうねえ」
「全部ですか」
「え」
「全部、ふとですか」
「ああ、たまに、ふとじゃない場合もあるねえ。話を変えるためとか、いきなり言うのもなんだから、急にふと思い出したとか」
「それは、本当のふとじゃないのですね」
「そうだねえ、ふと思い出したことにしているだけかな」
「じゃ、本当のふとって、何でしょう」
「何かの連想で、思い出したのだろうねえ」
「それはインスピレーションのようなものですか」
「そんな霊感じゃないと思いますよ」
「じゃ、どうして、ふとくるのでしょうねえ」
「生理現象に近いんじゃないのかい」
「はあ」
「ふと尿意をもよおしたとかね」
「あ、それは意識的じゃないですね」
「まあ、本屋で紙の本に接していると、便意をもよおす人もいるらしい」
「本屋にトイレがないと大変ですねえ」
「紙に何かあるんだろうねえ」
「便所紙を連想するとか」
「便所紙、それはまた古い。一枚一枚ばらばらのあれでしょ」
「はい、最近滅多に売ってませんよ」
「君は今便所紙を連想したねえ」
「はい」
「それはトイレの話をしていて、ふと思い出したのでしょ」
「おそらく」
「それがふとでしょ」
「やはり、連想ですか」
「ただ、連想は手繰ったものなので、ふと出たというのとは少し違うかもしれませんねえ」
「連想じゃないと」
「それも、ふとなんだけど、もっと生理的な、直接的なね」
「じゃ、やはりインスピレーション」
「そんな上等なものじゃないと思う。ふとなんだから、ところかまわず。だから、生理現象に近い」
「ふと思い出したことや、思いついたことは忘れやすいです」
「連想を手繰った形跡がないからでしょうねえ」
「いきなりですからねえ」
「そうそう」
「しかし、このふとは大事というか、隠れたる繋ぎ役なのですよ」
「ふと思いついたなんて言わないでも、やっていると」
「いろいろとふと思いつきますよ。しかし、それは口にしない。詰まらんことが頭に浮かびますからねえ。特に、こういう会話中は。それを全部出していたんじゃきりがないし、話が進まない」
「だから、選択しているのですね」
「使えそうなもの、ふさわしいものをね。だから、かなりの量のふとが生まれていますよ」
「今もそうですか」
「はい、この話とは関係なく、今、入って来た客を見て、三つほどふとが出ましたよ」
「ああ」
「それにあなたの髪の毛、飛び出していますよ。よけいなのが、これ、散髪屋で切らなかったのですか」
「え、そんなことまで」
「あなただってそうでしょ。私の唇の左側に出来物が出来ています。多少は気になっていたでしょ」
「はい、なってました」
「これはかゆいので、かいたら出来物になったのです。この会話中でも、気になりましてねえ。まだかゆい。いや、少し痛みを伴っています。これは皮膚科でしょうかねえ。まあ、行くほどのことじゃない。というようなことを、話ながらも、ふと思っているのですよ」
「やはり、ふとは押さえないといけませんねえ」
「そう思いましたか?」
「はい、ふと」
 
   了
 



2014年7月27日

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