小説 川崎サイト



鉄寮の秘密

川崎ゆきお



 黒鉄寮は渓谷にある。社員寮だが社員が住んでいるわけではない。保養施設でもない。
 黒鉄寮を知っている社員は殆どいない。
 黒鉄寮の周囲に人工物は殆どない。林道は路面が悪く、土地の人も滅多に通らない。ハイカーや里山探索者もここまでは入り込まない。
 渓谷は山にぶつかったところで終わる。たまに釣り人が黒鉄寮を発見する。旅館のようにも見えるが客を迎えるような雰囲気ではない。別荘かもしれないと思う程度だ。
 土地の子供が探検で入り込んだことがあるらしい……ということを経済新聞に記事を書いているフリーライターの井川は知る。
「住んでいる人はいなかったの?」
「うん」
「中はどうなってた?」
「お寺みたいな」
「お寺?」
「昭憲寺のお堂みたいな」
 少年の村にそんな寺があるのだろう。
「社員寮ではなくお寺か」
「お寺と同じだった。仏様がいた」
 井川は製鉄会社の持ち物であることを社のOBから聞いていた。神ではなく仏だったのは意外だ。
 井川は黒鉄寮に忍び込むことにした。
 黒鉄製鉄を貶める記事を業界紙から頼まれたからだ。選挙がらみの工作で、ギャラはかなり出ていた。
 黒鉄寮を見付けたとき、この怪しさはいけると思った。
「探検するなら僕が案内するよ」
 少年となら親子連れのように見える。井川は乗った。
 村を出て渓谷沿いの林道を進むと建物が見えてきた。井川はカメラを構えた。これさえ写せばあとは何とでもでっちあげられる。目的の殆どを果たした感じだ。
 下手に入り込むリスクを考えると引き返すのが賢明だ。
 少年は井川の手を引っ張り、黒鉄寮へ連れて行こうとする。
 少年には分からないかもしれないが、井川には雰囲気を読む力がある。それで、やばい場所を何度も切り抜けて来た。
「何か、いるなあ」
「誰も住んでいないよ。お爺ちゃんも言ってた」
「どうしてこんな物が建っているのか、お爺さんはどう言ってた?」
「クロガネ様を祭ってるって。でも普通の仏像だったよ」
 井川は、ここはこじ開けないほうが身のためだと思い、首を振った。
 少年の作り話に乗せられているとも知らずに。
 
   了
 



          2007年1月5日
 

 

 

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