小説 川崎サイト

 

以ての外

川崎ゆきお



「徐々にもありますが、ある日突然変わることがあります」
「日頃の話ですか。日常生活の」
「はい、そうです」
「じゃ、大したこと、ありませんねえ」
「しかし、このパターン、どなたにでも当てはまる節があるかもしれませんよ」
「私にも当てはまりますかねえ」
「まあ、聞いて下さい」
「はいはい」
「徐々に変わるものは、その変わり目で気付くのです。変化が僅かなので変わっていても分からない。日の出や影の長さ、太陽の位置などですね。これは朝日夕日に限られます。昼間は区切りとしては分かりにくい」
「長い前置きですが」
「いや、これが本題です」
「本題もずっとそんな感じですか」
「はい」
 聞き手は眉をしかめた。しかし、ここで聞くのをやめると、後々のことがある。話し手の老人はそれなりの地位にいた人で、たまに世話になるのだ。しかし何故か小馬鹿にしている。地位はあったのだが大物ではなかった。何となく生き延びた雑魚なのだ。もう他にそのレベルの人がいないため、少しだけ陽が当たっている。
「徐々に変わるものはあるとき気付きます。変わり具合が一定の幅に達したためでしょう。たとえば、いつもは日影の道なのに、幅が狭くなっている。そしてもう日影ではなくなるほど細い。だから、もう日影ではない。日影の役を果たしていない。そのとき気付くのです」
 万事がこういう人だった。話がしつこいのだが、大した内容ではない。ただ、物事を丁寧に説明する。
「次はある日突然タイプです。これは毎日出向く場所がありましてねえ。その店が閉店した場合、別の店へ行く。これはある日突然です。すると、もうその通りへは行かない。通らない。毎日通っていた道ですよ。いつもの小径ですよ。それが消えるわけです。ある日突然道が消えるわけじゃないですよ。私が通らないだけですよ」
 そして、この人は、くどい。話が。分かりきったことを綿々と喋っている。これは害はないのだが、聞くのに時間がかかる。言い訳を多くする人で、ミスを犯しても、どうしてそうなったのかの事情を克明に説明する。本人のミスだが、そういうミスになるような場所だったとか、自分だけのミスではないとか、その辺りを汲んでくれとばかりに説明するのだ。ひと言、すみません。だけで済む人ではない。
「つまり、毎日同じことをしているようでも、結構変化し、違うことになっているのです。箸もそうです」
「はし?」
 話題が飛びすぎるのだ。だから、聞き取りにくい。文脈が違うものを入れすぎるタイプだ。横飛びが激しい人なのだ。
「ご飯を食べるときの箸です。いつもは塗り箸ですが、これが折れた。こんなもの簡単に折れるものじゃない。そう、引っ掛けたのです。テコの原理でポキッといった。どうして負荷がかかったか説明しましょうか」
「いいです。いいです」
「それで、割り箸に換えた。これは変化ですよ。私は箸は一本と決めています。箸は二本ですので、一本はおかしいですねえ。一膳ですねえ」
「はい」
「それで、新しいのを買ってもらう、家内が買いに行きます。それまで他の家族の箸は使いたくない。肉親でも箸は駄目です。共有できません。ただ割り箸はいい。自分専用の塗り箸が駄目なんです。これはスプーンならいい。スプーンは誰のスプーンかは決まっていない。まあ、お気に入りはあるでしょうが、我が家では一ダースの箱入りで買ったのを使っています。同じ形です。間違えました。買ったんじゃない。頂いたものです。何かの記念品かなあ」
 聞き手はそろそろ飽きてきた。
「いつも同じように食事をとる。しかし、塗り箸から割り箸への変化があるわけです。これは徐々にじゃないでしょ。そして、そういうのを何度も何度も繰り返していると、十年前の暮らしぶりと全く違っていることが分かります。だから、変化のない日々なんて嘘です」
「あのう、それは」
「何ですか」
「それほど大きな意味はないのでは」
「ないです。言うほどのことじゃない。しかし、君は何故聞くのですか」
 聞き手はどきりとした。
「では、用件に入りましょう。私のウダ話に付き合ってくれましたから」
 聞き手はある取引先の人脈について聞いた。そう言うことをよく知っていない人なら、鼻も引っかけない相手だった。当然、あの無駄話など、以ての外だ。
 
   了


2014年8月17日

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