小説 川崎サイト

 

真夏の夜の散歩

川崎ゆきお



「私は夜中に起きるのが好きでねえ」
 老人が語り出した。
「夜中と言ってもまだ翌日じゃない。それでもいいが、零時前後だ。この時間起きるのが好きなのだが、勝手に目が覚めるだけのことだ」
「眠りかかってすぐに目が覚めるのですか」
「え」
「だから、眠ってすぐに起きてしまうのですか」
「ああ、蒲団に入るのが早いんだ。隣の家が晩ご飯を食べている頃だ。庭から見えるんだ。二軒ほどの家がね。裏側だけど、声が聞こえてくる。台所で何か作っているときの音や、また主人だろうねえ、野球を見ているのか、その音も聞こえる。だから、まだ早いうちに寝るんだ」
「その時間、目が覚めるのが好きとは?」
「早起きじゃないよ。それでは早すぎる。十一時半の時もあるし、一時半の時もある。まだまだ寝ないとね。途中で起きるだけだ。これはほぼ毎晩だ。決まっている。多少時間は違うがね。この時間が好きなんだ。まだまだ十分眠られるからね」
「目が開いてしまったあと、すぐにまた眠られるのですか」
「いや、トイレに立つ。きっとそのため、目が開くんだろうねえ。お知らせだ」
「はい」
「冬場じゃ駄目なんだ。蒲団から出ないといけない。だから寒い。真夏がいい。どうせ掛け布団など使っていないので、さっと立てる。襖や障子など、部屋を仕切っているものは全部開けてある。三間ほどぶち抜いてる。真夏はこれで一部屋のようなものだ。見晴らしがいい。起きたとき庭を見る。日によって違うが、まだ隣の家に明かりがある。音を落としているので、番組までは分からないがテレビでも見ているのだろう。窓硝子がちかちかする。少し遅いと、お隣の二軒とも電気は消えていたりする。これは少し寂しいねえ。トイレは玄関側にある。表側だ。玄関は磨りガラスなのでね。前の道を隔てて、そちらのお向かいさんの明かりも分かるが、雨戸を閉めていると、暗い。これも日によって違う。それを見ながらトイレに入る。そこから真横のお隣さんの家が見える。こちらは夜更かし家族かねえ。いつも明かりがある。テレビの声もよく聞こえてくる。これはトイレの窓から見ることができるんだ。さらにその斜めの方に別の家の二階が見える。ここも遅くまで起きているねえ。住んでいるのは私と似たような老人だ。寝付けないわけじゃなく、夜型なんだろうねえ。たまに明かりがないときがある。体調でも崩したのか、早寝したのか、それとも留守なのか、それは分からない。ずっと家に居る人でねえ。滅多に外に出ない。だから、何ヶ月も、その老人と顔を合わせたことがない。何をしている人なのかも知らない。二年ほど前引っ越して来たんだけどね。挨拶もなかった」
「そういうのを見るのが好きだと」
「その二階の窓なんだけどねえ。明かりがない日は、何かが飛んでいたりするんだ」
「え、人魂ですか」
「そんな明るいものじゃない。黒い塊で、最初何かよく分からなかった。水銀灯をかすったとき、やっと何だか分かったよ」
「何でした」
「コウモリだ」
「コウモリは夕方でしょ」
「それ以前に、私の住んでいる辺りにはコウモリはいない。見かけたことがない」
「少し、待って下さい」
「待ちます」
「その老人の部屋の窓が暗いときに飛ぶのですか」
「四回見ました」
「部屋が暗い日は」
「週に一度か二度です」
「それは」
「吸血鬼だと思われているでしょ」
「はい」
「吸血鬼にはコウモリは付き物です。しかし、コウモリを飼っておられる老人かもしれません。たまに散歩に出すとか」
「コウモリをですか」
「あの家がコウモリの巣だとすれば、外に出しても、戻って来るでしょ」
「しかし」
「心配なく、あの老人が吸血鬼なら、私はもうやられていますよ。まあ、あの老人、若い娘の血の方がいいかもしれませんがね」
「そうですねえ。じゃ、やはりコウモリの散歩ですねえ」
「そうだと思います。それも含めて、あの時間目覚め、そういうのを見るのが好きなんです。ほんの数分のことですが」
「はい」
 
   了

 


2014年8月26日

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