小説 川崎サイト

 

カストリ酒場

川崎ゆきお



 カストリという名の小さな酒場がある。郊外にある町の駅はずれ、商店街が果てるところの路地を右に入ったその奧だ。
 カスを取ってくれるらしい。ゴミのようなものだ。浮き世のカスが結構溜まる。
 その近くに粕汁と書かれた食堂がある。このカスは酒粕のことだ。酒粕入りの豚汁のようなものだ。味噌と酒粕、相性がいいのだろう。
「調子に乗るなと言われました」おきまり通り客がマスターの爺さんに悩みを語りかける。キャッチするカストリ爺さんは慣れている。あらゆる球を受けてきたからだ。一番困るのは曲球で、カーブではない。何かを投げようとして、失敗した球で、変化が分かりにくいためだ。
 悩みを語り出した青年は、もう青くはない年だ。
「それ以前に」
「はい」
「あなた、どうしてここへ来ましたか」
「この町にカストリ酒場があり、こういう話をよく聞いてくれるお爺さんがいると聞いたものですから」
「ああ、暇なだけじゃ。繁盛しておれば、そんな暇もない」
「今夜は大丈夫ですか」
「ああ、連夜な。それで、調子がどうしたって」
「調子に乗るなと言われました」
「調子がよかったのかね」
「はい、絶好調です。自信満々です。すべてがうまく行ってます。大手柄を立て続けに立てました」
「自慢しに来たのかね。立身出世談を語りに」
「だから、水を差されたのです。調子に乗るなと」
「いい忠告じゃありませんか」
「そうなんですが」
「人が羨むでしょ。羨むから恨むになる」
「そんなあ」
「物陰から、あなたの笑顔を不快な顔で覗いている人間がいるもの。調子のいいときこそ頭を低くすべし。歯など見せてはいかん。むしろ苦しそうな顔をすべし」
「それを誰に見せるのですか」
「羨んでいる連中にだ」
「心当たりがありません」
「いるんだ。そういう暗い奴が。河童のように足を引っ張ってやろうとか、ドジョウのような奴が泥沼に引きずり込んでやろうとかな」
「ここは、その系統ですか」
「何が」
「人生経験豊かなマスターがいると聞いたのですが」
「わしのことか」
「そうです。それなのに妖怪談のようで」
「喩えじゃないか。この喩えに持ち込むのに、磨きに磨きをかけてきたんだ。このあたりでやっと落ち着いた」
「あ、はい」
「頭を低くすることだな。いいときほど下へ下へと出るのがいい。これは怨念防御のためだ」
「やはり、その系譜ですか。オカルト系ですか。このカストリ酒場は」
「そうじゃない。喩えだ。喩え話だ」
「はい」
「調子に乗るなと言った人は誰かな」
「上司です」
「それは、親切な人だ。そして」
「何ですか」
「君を羨んでいるのは、その御仁かもしれん。その筆頭だ」
「僕もそう思います。最近態度が冷たいです。よそよそしいです」
「だから、明日から悲しそうな顔で行きなさい」
「調子に乗っていない顔ですね」
「普通の顔では弱いので、苦しい、苦痛だ。とそんな態度で静かにしていなさい。怨念はそれで薄くなる」
「やはり、オカルトじゃないですか」
「喩えじゃ、喩え」
「しかし、カスが取れたような気がしました」
「それは気のせいだろうが、その程度のものだ」
「はい、明日から姿勢を低くします」
「平蜘蛛のようになってはならん。それでは低すぎる。卑屈すぎる」
「ああ、ではどの程度の低さ、角度がいいでしょうか」
「首を少しうなだれる。突き出し気味でな。亀のように。それでいい。腰はまっすぐでよろしい」
「はい」
「下を向くこと。これは自分の足元を見ることになる」
「靴も地味なのに代えます」
「よう分かっとる。君なら大丈夫だよ」
「ありがとうございました」
「また、カスが溜まったら来なさい」
「はい」
 そうして、このカストリ酒場の噂はまた広がったのだが、あまり儲からないようだ。客が多すぎると、逆にカストリができない面もあるだろう。そして程良いバランスで、まだ続いている。
 
   了

 


2014年8月27日

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