小説 川崎サイト

 

何とも言えない

川崎ゆきお



 何とも言えない町並みの風景がある。実際には言えるのだが、それでは伝わらないのだろう。それは外見ではなく、見る者の内側も写り込んでいるためだ。これはあまりにも個人的すぎて、人に話しても伝わらない。だから、何とも言えないとなる。
 ただ、自分の中では大いに言える。
 雨の降る朝、古田は歯が痛いので、目が早く覚めてしまった。この痛みは三日ほど続く。後一日だ。それでまだ早いが布団から出て駅前のファストフード店へ行くことにした。なぜファストフード店なのかの説明が難しい。それは癖なのだ。古田の。
 ファストフード店は歯医者ではない。しかし、そこでハンバーガーを食べ、コーヒーを飲む。そして、お冷やも。このお冷やで痛め止めを飲むのだ。そんなもの、家で飲めばいいのだが、そういう儀式になっている。これをすると効くからだ。ただ、順番はお冷やが先だ。食べた後、薬を飲むのではなく、先に飲む。そして食べて、端末でもいじっている間に効き出し、出るときには痛みが四割ほど減っている。完全ではないが、所謂緩和だ。
 それで、ましになったので、店を出ようとしたが、雨は相変わらず降っている。そこで、道を変え、歩道に屋根のあるとこを自転車で走っていた。そして、信号待ちで止まる。
 ここだ。ここで来たのだ。痛みではない。風景画だ。何とも言えない絵にも描けない風景が。
 歩道は道路の両脇にあり、軽く屋根がある。歩道脇には商店が並んでいるのだが、朝まだ早いため、開いている店は少ない。商店街の一部だが、昔からその通りには店屋が並んでいる。地方銀行や不動産屋、飲み屋もある。ボタンだけを売っている店もある。時計屋も。
 古田が思い出したのは、それの昔の風景だ。同じそれが残っている店もある。ここはたまに通るのだが、もう忘れているのだ。バス停がいくつも両側に並んでいた。バスターミナルが別の場所に移ったため、忘れていたのだ。既にバス停はなくなっているが、それは市バスで、電鉄会社のバス停はまだ残っていた。そこに一人の老婆がバスを待っている。
 古田は子供の頃、この町の中心部に出るとき、バスでよく来た。まだ物心が付かない頃から母親につれられて。この通りは昔はメインストリートだったのだ。
 そして、帰るとき、その歩道でバスを待っていたのだ。今見ると、古田が乗る行き先のバス停前は立ち食いそば屋の前になっている。当然もうバス停はない。そこから、電鉄会社のバス停が見え、珍しい色と形をしたバスが停まっていた。市バスの距離は短いが、この電鉄会社のバスは長距離だ。行ったこともない町の名が付いていた。
 子供だった古田は、同じように雨の日、バスが来るまで、ずっと向こう側にあるそのバス停を見ていたのだ。巨大なウインスキーの形をしたトリスのネオン看板があり、その後ろにはパチンコ屋が打ち上げ花火のようにネオンを光らせていた。それが雨で滲み、路面にも鏡のように映り、普段の倍ほど派手だった。ネオンは規則があるのか、何秒か単位で変化し、さらに色も変わった。毎晩花火大会をやっているようなものだ。
 というようなことを、歯の痛みが少しましになったとき、たった一つ残ったバス停を見ながら思い出したのだ。それは目の前にあるバス停なのだが、それだけではないのだ。
 パチンコ屋は残っているが、まだ開店していない。バスを待つ人は老婆一人、何でもない街頭風景だ。しかし、古田の頭はそれだけを見ているのではない。これを説明すると長くなるだろう。だから、何とも言えない風景と言うしかない。
 
   了


2014年9月6日

小説 川崎サイト