小説 川崎サイト

 

年寄りの冷や水

川崎ゆきお



「もう秋ですなあ。この青空は」
「秋空ですか」
「同じ空でも夏空もあれば秋空もある。冬空もね」
「季節によって、呼び方が違うのですね」
「しかし、夏でも秋空がある。秋にも夏空はある。移り変わりのときはね」
 二人は市街地の歩道を歩いている。散歩コースだ。そこに花壇があり、その囲いが椅子になる。盛り土を煉瓦でせき止めているようなものだ。花壇の土が土砂崩れするのだろう。なぜ盛り土し、高い所に花壇があるのかは分からない。
「大前さんの姿を見かけませんが」
 同じ時間帯によく見かける人について語っている。
「あの人は夏場の暑いときも出ていた。だから、夏ばてなんじゃないのかい。ここの歩道はかんかん照りで、日陰もない。日中は無理なのに、来ていたからねえ。曇りの日は楽だが、逆に湿気で汗が出る」
「福島さんの姿も夏の中頃から消えています」
「早い目にばてんだろう。今年はさほど暑くはなかったけど、やはり夏場炎天下の散歩は無理がある。だから、私は夏場は出なかった」
「僕もです」
「今日は涼しい。日差しはあっても、暑くない。こういう日を待っていたんだ」
「でも、大前さんや福島さんは、その間も休まず来ていたのですから、僕はプレッシャーを感じましたよ。三日に一度ほどしか出られなくて」
「どうして」
「だって、歩いていないのですから。つまり、運動不足です」
「じゃ、今日は歩けなかったかね」
「歩けました」
「散歩になど出なくとも、歩くでしょ」
「はい、歩きますが、それは移動しているだけ」
「部屋の中を歩くだろうし、医者にも行く。買い物にも出る。電車に乗れば階段も上がるだろう。揺れる車両内を歩くことだってある。結構歩いているんだ。散歩の三十分や小一時間程度歩かなかったからと言って、足腰がなまるわけじゃない」
「そうですねえ」
「私など最近部屋の掃除をしている。これは結構な運動量だよ。素人がやる掃除はねえ。力むんだ。また、足もよく踏ん張る。プロの掃除人は疲れないように動く。無駄な筋肉は使わない。不細工だけど腰を曲げないで、膝を曲げる」
「暑いのに部屋の掃除をしていたのですか」
「エアコンは付けてある。だから、汗ばむ程度だ。無理な姿勢で本棚の上にある鉄の塊のような天神さんの牛の置物を下ろそうとして、腰と背中の間をやられた。姿勢が悪かったんだ。脚立に上がって持ち上げれば何ともなかった。それに体を前に向けてではなく、横にしたまま持ち上げたので、ひねった。これは歩いているだけの散歩より運動になる」
「もう腰の方は大丈夫なんですか」
「それもあって、散歩を休んでいたんだよ」
「じゃ、掃除も危ないですねえ」
「まあ、痛い目に遭って、やっと分かる。あの二人も、暑いとき歩いて、ばてて初めて分かるだろう。去年は大丈夫でも、今年はだめな場合もあるんだ。去年できて今年できないことが増える」
「それは、寂しいですね」
「お陰で余計なことをしなくてもすむ。年取った犬や猫はあまり動かんだろ。あれでいいんだ。年寄りの冷や水と言うだろ」
「はい」
「冷や水を浴びる必要が何処にある。心臓に悪いじゃないか。まだ、そんなことができるんだと試す必要なんてないんだ」
「じゃ、僕はもう一回り歩いてきます」
「私は腰がまだ爆弾なので、ハーフにするよ」
「はい」
 
   了


2014年9月8日

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