小説 川崎サイト

 

弘法の杖

川崎ゆきお


「調子のいいとき、ありますか」
「え、何の」
「たとえは体調とか」
「最近良いです。しかし逆に怖い。少し悪いところがある方が安心します。何処か痛いとか、便秘だとか、少し動くと息切れするとか」
「じゃ、今はいいんですね」
「だから、怖い。そのため、こういうのは調子のいいとき、いきなり来ますからねえ。油断してるわけじゃないけど、悪いのが出て来る。だから、出っぱなしの方が安心だ」
「お仕事は」
「仕事はしていませんがね、趣味で色々と、それに一人暮らしなので、家事だけで一杯一杯ですよ。掃除もしないといけないし、洗濯物も溜まる。ご飯を食べたら食器も洗わないといけない。まあ、それだけで一日が終わってしまうこともありますよ。しかし、これも調子の良いときと悪いときがある。何にもやる気がしないときもね。このときの方が逆に安心なんだ。色々元気にやっている方が、そりゃいいけど、やりすぎになる」
「うーん」
「どうかしましたか」
「お仕事の殆どは家事ですか」
「家のことと言うより、自分のことでしょ」
「そうでしたねえ。一人暮らしでしたよね」
「趣味があります。これがまあ仕事のようなもので、長年やってきたことでもあるし、これは今も続けています」
「えーと、何でした」
「これは仕事とは言えませんが、地理です」
「ち、地理」
「測量の仕事をしていたんです。測量士です」
「はいはい、ありますねえ」
「それで地形が好きでしてねえ。風水も興味深いですが、高低差なども好きですねえ」
「ほう」
「好きな地形は山裾です。山の麓ですねえ、山麓」
「はい」
「それもいきなり壁のように、ここからが山ってのより、なだらかなのが好きなんです。棚田のように階段式じゃなく、一枚は普通に広い。平地かと思えるほどなだらか。しかし、高低差、思っている以上にあるんですよね。昔はなだらかな森のようなものでしょうか。富士山の裾野を思い浮かべていただければいい」
「それが何でしょうか」
「何処が面白いかって事ですね」
「そうです」
「高低差がないと思っていたのにある。先ずはこれです。見た感じ平地なんですからね。しかし山に向かうほど緩く勾配が続いています。当然道路は坂道なんですが、これも気付きにくいほど。自転車で走ればすぐに分かりますがね。さて、ここは平地なのか山の斜面なのか、どちらでしょう。てな感じが好きなんです」
「はい」
「それと隆起したような台地ですねえ。幅は狭い。高さも二メートルもない。歩道に植わっている桜の並木道、見たことありますか。別に桜でなくてもかまわないのですが、その根を。歩道が盛り上がるほど下から突き上げている。ああいう感じなんです。これはですねえ段差がある。かなりある。先ほどのなだらかな山裾じゃなく、急に急勾配がくる。堤防かなと思いしや、上がると何もない。普通の町だ。それがかなりの長さで続いている。隆起したのか、皺ができたのか、よく分かりませんが、プレートの移動で皺が寄ってしまったのがヒマラヤでしょ。世界一高い山が連なっていますねえ。あの規模じゃないけど、押されて皺になったような台地が結構あります。街中でも」
「地震と関係しますか」
「地龍、龍道、所謂龍脈ですなあ。龍が眠っている。背骨、地面の背筋です」
「楽しそうですねえ」
「調子の良いときはそれを見に行きます。捜すんです。これは地図を見てじゃだめなんです。反則です。自分の目で発見するのです。解答は地図を見れば分かります。そういう地図がありますからね」
「はい」
「調子の良いときは次々と発見する。一本の筋、これが途切れている場合も、枝分かれしている場合もあります。これは南北アメリカ大陸を発見したような気分になりますよ」
「仕事の調子が良いというのは、そう言うことですか」
「はい、これは仕事じゃありませんがね」
「これを専門にやっているのが山師です。鉱脈などを発見する人です」
「今もいますか」
「写真で写すなり、電波か何かを飛ばしたほうが早いでしょ」
「あ、はい」
「究極は御大師さんの杖ですなあ」
「御大師さん」
「弘法大師空海ですよ。杖を突いて歩いています。その杖の一突きで、水が出る。水脈を知っておられるのでしょうなあ。そこに井戸を掘ればいい。掘らなくても湧き水が出て、水汲み場になる」
「ほう」
「杖ですよ、杖。あれを私は弘法杖と名付けています。弘法さんは筆の達人ですがね。私は杖の達人だと思っています。あの杖が欲しい。作らないと無理でしょうが、その杖をついて地形を見て歩きたいものです」
「水を出すのですか」
「いや、足腰が弱ってきたので、杖のお世話がそろそろ必要かなと」
「あ、はい」
「弘法さんは筆を誤るようなこともありましたが、杖の一突きは百発百中でした」
「はい、もういいです」
 
   了


  


2014年12月11日

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