小説 川崎サイト

 

町の旅人

川崎ゆきお


 人には行きつけの場所があるようだ。ただそれは年代や時期によって違ってくる。用事がなくなった場所へは当然行かなくなる。また何となく遠ざかってしまう場所もあり、これは用事とは別に事情が変わったのだろう。さらに経済的なこともある。行きたくてもお金がないので、入れないような店、行きたくても旅費がないので出かけられないとか。
 作田は定年後しばらく経過するが、その直後はよく出歩いていた。毎日が日曜日のようなもので、ずっと休めるためだ。それで、勤めているときには行けなかった観光地などへ遊びに行ったが、そんなことを続けていると、仕事をしているより疲れたりする。また経済的に持たない。飛ばしすぎたのだ。
 それで、最近は年々行動範囲が狭まっている。縮小している。その分、近場をより丁寧に見ていくようになった。狭い場所でも結構横への展開もあり、縦への奥行きもある。それに気付いてからは、そんなに遠くへ行かなくても、近くでも似たような体験が味わえることを知った。京都の名園へ行かなくても、近所の古い家の庭先を見ていると、同じようなものだと思えた。決して同じではないが。また紅葉の名所へ行かなくても、結構町中にもある。ただし縁台が出ていたり、赤い毛氈の上にお盆を置き、甘酒を飲むような施設はないが。
 また、町おこしのようなものが、近所の繁華街にもあり、そこでイベントがよく行われている。洋楽の野外ライブがそこに現れ、賑やかな楽器で演奏している。聴いたことのない歌だが、無料だ。また、そこに出る模擬店で珍しい食べ物、飲み物が売られている。食べたことのない無国籍料理などだ。それらは商店街の店が出店できているだけなのだが、普段は入ろうとも思わない店なのに、こう言った縁日風な日は、お祭り気分になるのか、食べてみたりする。
 また、今までなら用のない商店街にも入り込み、どんなものを売っている店があるのか、探索してみる。新聞やテレビでシャッター通りの噂は知っていたが、この町のそれは、開いている店の方が多い。そして、どんな店が生き残っているのか、その共通点を考察したりする。
 そこで土産物屋のようなお菓子屋を見つけた。しかし、そのネーミングが大人のお菓子屋となっており、これは何かと考えた。売られているのはよくある袋物の菓子類で、ポテトチップスなどよく見かける品だ。しかし品数が非常に多く、それらの袋がどれも目立つように派手なので、おもちゃ屋のようにも見えた。これだけそろえれば、結構にぎやかで、花が咲いたように華々しい。大人のお菓子屋となっているが、買いに来るのは老人が多いようだ。
 さらに通りを進むと、昔ながらのお菓子屋がある。煎餅や豆菓子が売られている。これは競合しないようだ。そして、大きな電器屋だったところにマッサージ屋ができていた。数軒ある。なかにはあんまと占いなどの看板もある。その前を通ると、ガラス張りのため、中がよく見える。仕切りのない大きな部屋だ。大きな店があったのだろう。そしてほぼ満員で、どのベッドにも人が寝ている。機械類はなく、マッサージ師とベッドだけでやっているようだ。マッサージ師は全員若い男性。はじめ、こんなところに風俗店ができたのかと思ったのだが、客の殆どはお婆さんだ。若い男性とお婆さん。この相性がいいのだろう。やはり何処か風俗の臭いがしたが。
 作田は、こう言うのを見て回るうちに、隣の町はどんな感じなのかと気になった。いい趣味だ。寺社巡り、観光地巡りに飽きたわけではないが、そういう場所でなくても、見所が結構あることを発見したため、そちらに興味が移ったのだろう。
 ただ、徘徊や不審者と思われないよう、きっちりとした身なりで出掛けるようにしているようだ。
 
   了

 

  


2014年12月15日

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