小説 川崎サイト

 

消えたパン屋

川崎ゆきお


 消えていった人がいる。それは見かけなくなった場合、そう思う。それを思っている人が、ある場から消えた場合、同じことになるだろう。ただ、本人が消えたわけではない。ある場に顔を出さなくなったか、その場から去り、姿を現さなくなったかだ。
 テレビでよく見かけた人が、最近見かけなくなると、もう出なくなっただけで、消えたわけではない。あの世へ行ったのなら別だが。
 岩田はたまにそれらの消えていった人達のことを思い出す。相手側から見ると、岩田自身も消えた人の名簿入りを果たしているだろう。お互い様かもしれない。何十年も前に消えた人がいる。たとえば学校を卒業し、故郷から離れていった人達だ。これは戻ってくるかもしれないが、それまでの間、音沙汰がなければ消えたも同じ。また、同じ町に住みながらも、滅多に顔を合わせることのない同級生や、幼なじみがいる。これはブランクがあると、あの頃のような付き合い方はできない。
 そんな関係以外に、岩田が感じているのは、あまり親しくなかった人々だ。実際には話したことのない間柄のただのクラスメイトとかだ。また、学校の近くにあったパン屋のおばさんやお爺さんも。これは思い出す機会が殆どない。ただ、その前を通ると、もうパン屋はなくなっていることで、少しは思い出す。別の家が建っており、あのパン屋一家はいない。その気になって探すほどのことではない。
 岩田は弁当を持って学校へ行っていたが、いつの間にかパンを買って食べるようになった。学校の購買部にも売られているのだが、そこは混んでおり、しかも好きなパンが少ない。それで高学年になると、門の外に出て、そのパン屋へ通っていた。ホットドッグのような調理パンが結構あったためだ。
 あのパン屋のお爺さんには息子がいたのだろう。その嫁と一緒にパン屋をしていた。息子は会社勤めでもしていたのだろう。今考えると、そういう関係が見えてくる。当時はそんなことなど思いもしなかった。
 そのパン屋一家は消えてしまったので、今は何処で何をしているのかは分からない。そのお爺さんは今思うとそれほどの年ではなかった。娘だと思っていたおばさんが息子のお嫁さんであることを知ったのは、その息子が店の奥から出てくるのを見たときだ。養子かもしれないとは思わなかった。
 そして、毎日のようにパンを買いに行っていたので、お爺さんと嫁との関係が何となく怪しいことに気付いた。最初は娘なので、仲がいいのだと思っていたが、それにしてはおばさんの言葉遣いもお爺さんの接し方も丁寧すぎる。決して礼儀正しい一家でもなさそうだし。それが嫁であることを知ってから、これは怪しいとピンときたのだ。亭主は勤め人で一日いない。店で二人っきりだ。子度がいたのかどうかまでは分からない。いつもお昼にしか行っていないためだ。しかも五分もいない。
 このパン屋、手作り云々ではなく、ふつうのパン屋だ。似たような近所のパン屋は最近見かけなくなっている。パンなどコンビニやスーパーへ行けばいつでも買える。だから、廃業になったのだろう。
 学校を卒業してからは、その方面へ行く機会は殆どなかったので、パン屋がいつ消えたのかは分からない。世間の相場通りなら、潰れるのは時間の問題で、珍しいことではない。
 岩田は夕食用にパンを買っているとき、ふと、遠い昔のお爺さんと息子の嫁のパン屋を思いだしたのだ。
 
   了
   
 

 

  


2014年12月19日

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