小説 川崎サイト

 

荒神

川崎ゆきお


「親を見れば子が分かるって、本当かもしれないねえ」
「子を見れば親が分かるってのはどうですか」
「それもありかも」
「要するに親子は似ていると」
「両親どちらも小心者で、地味な暮らしぶりで大人しい。まあ、反動で荒っぽいことをするかもしれないけど、大物にはならない。大悪党にはね」
「それは、子は親を真似るからでしょうか」
「さあ、それは分からないけど、身近な大人で、そういう意味での完成品を見ているからねえ」
「完成品ですか」
「モデルだろうねえ。これが何も分からない頃から見ているので、始末に悪い」
「はい」
「貧相な親だと、子も何となく貧相になる。これは教育では何ともならん。埋め込まれ、植え込まれたのだろうねえ。小さいときに。これは抜けない」
「貧相な子はだめですか」
「そんなことはない。ただ、小さな世界で、地味に暮らしている限りはね。こちらのほうが平和で、ふつうの人生を送れる。特に何もないような、平凡なね。ただ、これはその人に聞いてみないと分からないけど、決して平凡なものではないのだろうねえ」
「誰だって人生いろいろありますからねえ。大変なことが」
「災難もある。身に降りかかったね。自分のせいではなく、巻き込まれたとかも。そういうのをくぐり抜けた来たんだよ。それは伝記にするほどのことじゃなくても」
「先ほどの親に似る話なんですが」
「ああ、何かね」
「態度なんかもそうですか」
「礼儀作法のようなもんだね。しつけができている子か、そうではない子かの違いも大人になると出るだろうねえ」
「じゃ、家庭教育は大事ですねえ」
「親がなくても子は育つとも言う」
「はあ」
「下手に植え込まれていないほうが、いい場合もあるしね」
「何でもありですねえ」
「しかし、やはりお里が知れるとかはあるねえ。馬脚を現すとかも」
「それは悪い里なんでしょうねえ」
「え、どうして」
「だって、その言い方は悪い方でしょ」
「ああ、そうだねえ」
「要するに性格の話ですか」
「そうだね」
「はい」
「私があまり荒っぽくないのは両親とも大人しい人でねえ。まあ、大過なく人生を過ごしたのか、極限状態などはあまりなかったんだろう。だから、大人しいままで過ごせたんだと思う」
「え、どういうことですか」
「本当は大人しくない人だったのかもしれない。ただその面を出すシーンがなかっただけ。またはずっと我慢していたのかもしれない」
「そうなんですか」
「親に似て私も大人しく、そして貧相だ。しかし、何か燃えるようなものを持っている。荒神がいる。荒ぶるものだ。これは親とは似ていない。しかし、親はその荒神を封じていたんじゃないかと思うんだ」
「どうしてですか」
「それを出すと、損だから。まあ、それを出すここ一番もなかったんだろう」
「荒神を隠していたのですか」
「荒神、夜叉でもいい」
「はい」
「私は出してしまった。だから今は悔やんでいるよ」
「それを出されたから、大活躍されたわけで」
「しかし、根が貧相でねえ」
「いえいえ、そんなことは」
「荒神を出すか出さないか、心して決めるべきだった」
「荒神さんへお参りに行きましょう」
「なんだい、いきなり」
「荒ぶる心に効きます。荒神さんは」
「あれは竈の神さんだろ」
「そうなる前は荒ぶる魂の神さんだったのです」
「じゃあ、私も竈の神様になるか」
「はい、家内安全です」
「いや、我慢できない」
「あ、はい」
 
   了
 

 

 


2014年12月23日

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