小説 川崎サイト

 

年越しの神

川崎ゆきお


 除夜の鐘が鳴る年越しの深夜、新年の初詣を済ませた吉田は、妙な老人から話しかけられた。
「年が越えましたなあ」
「はい、無事に年を越せました」
「いや、そうじゃない」
「はあ」
「人が越すものじゃない」
「え」
「あなたが越そうが、犬が越そうがどうでもよろしい」
「じゃあ、何が越すのですか」
「年じゃないか」
「時間のことですか」
「だから、年の神が越える」
「干支ですね。今年は羊年なので」
「あれは、神じゃない。羊は神かね」
「羊を飼って生計を立てている民族なら、神に近いかもしれませんし」
「そういう動物ではない」
「じゃ、年越しの神とは何でしょう。神社に行っても干支は飾られていますが、それ以外のものですか」
「門松で迎える神とはまた違う」
「何ですか」
「一般には知られていない」
「しかし、もう二千年以上です。どんなローテーションで」
「干支は十二年交代制だろ」
「そうです。年神は」
「一人」
「聞いたことありません。年越の神なんて」
「神さんなどいくらでもいる。一人ぐらい知らなくても不思議じゃない。むしろ知られていない神の方が多いのじゃ」
「年神はどこに祭られているのですか」
「今は干支」
「じゃ、今年なら羊じゃないですか。やはり。年神は羊でしょ。年男のように」
「あんた、羊を拝むかね」
「拝みません」
「猿は」
「僕は拝みませんが、猿や犬は信仰としてあるでしょ。蛇も」
「年神はそのタイプじゃない」
「でも信仰している人もいるでしょ」
「神が万ほどあるように、信仰も万ほどある」
「あ、はい」
「だから」
「はい、何ですか」
「年を越すのは年神。人が越すのではない。静かに年の神が越していくのを見ておればいい。見えんがな」
「時間の神様ですね」
「日が暮れる。日が昇る。それと同じじゃ」
「そうでしたか」
「流れ星に願いをかけるように、年神が越えるとき、願いをかける」
「はい」
「自分のことじゃないぞ。自分の年越しではない。くどいがな」
「それはどこに書かれているのでしょうか」
「これに気付いた人は太古からおる。だから、調べれば出てこよう」
「まさか」
「年越し、年越しと、うるさいので、ついつい出て来てしまったわい」
「じゃ、あなたが年の神、年神様でしたか」
「月日のたつのは早い」
「あのう」
「なんじゃ」
「いつもはどこにおられるのですか」
「今年は羊の上に乗っておる」
「そうなんですか」
「蛇の上は乗りにくい」
「はい」
「今年はクッションが良いし、冬場はこれに限る」
「羊毛ですからねえ」
「しかし、夏場暑苦しい。夏は蛇がいい」
「あ、はい」
 妙な老人は初詣客の人混みの中に消えていった。
 
   了
 
   
   



2015年1月2日

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