小説 川崎サイト

 

瘤鬼

川崎ゆきお


 一つのことばかり思い、考えているとおかしくなる。これは一つの漢字でも仮名でもいいが、じっと見ていると、妙なことになる。その形が不思議なもの、逆に見慣れないもののように思えたりする。文字はさっと見ればそれで分かる。あの漢字ではなく、この漢字というように、読み違えなければ良いのだ。
 文字と違い、気になるような事柄は、当然気にし続ける。もうそのことばかり一日中考えたりすることもあるだろう。世の中は広く、世界も広い。色々なものが詰まっている。当然色々なものが見えたり聞こえたりする。それらを押しのけて、ある一つのことだけで頭が一杯になると、これは違うものが見えてくる。それ以上思わなくてもいいようなこと、考えなくてもいいようなことまで思い巡らし、推測したり予測したりするためだろう。これは楽しいことなら、そういう時間は至福の時だろう。ただ、楽しいことより、不安なことの方が長く頭に滞在するようだ。楽しさは長続きしないためだろう。不安なこと、心配事の方が尾を引きやすい。
 楽しいことは考えなくても、思わなくても大丈夫だが、不安なことは身に大事が起こる可能性があるため、これは生存のためにも必要なのかもしれない。
 不安が未来を設計するとは言わないが、転ばぬ先の杖を欲しがる。それは余裕のある場合で、しかも常識内だ。
 常識外の、何かよく分からないようなこと、妄想に近いことで頭が一杯になると、これは気の病と言われても仕方がない。ただ、本人にしか、その重要性が分からないこともある。
 というようなことを妖怪博士が語る。
「先生、それが妖怪とどう結びつくのですか」
「思い詰めると塊ができる。瘤だな」
「そこに来ますか、コブに。そこから妖怪が」
「塊というのはカイ」
「カイとも読みますねえ」
「この塊、瘤じゃな。これは塊より怖そうな漢字だろ」
「はい」
「体にできたイボのようなものをじっと一日中見ていた男がおる。すると、どんどん大きくなっていく。実際には大きさは変わらぬのにな。そこばかり見ておるからより詳細に見えるため、大きくなったように見える。そのうち、こぶとり爺さんのような大きな瘤になる。ボールほどにな。しかし、実際には瘤の大きさは変わっていないのじゃ」
「それは何という瘤の妖怪ですか」
「まさか、瘤膨らまし妖怪とは言えん」
「そですねえ。あまり怖くないですし、神秘も感じられません」
「瘤は具体的でいいが、心の中の瘤は、これはしこりのことだが、見えん」
「はい」
「だから、それを見えるようにしてくれるのが、瘤の妖怪じゃ」
「それで、名前は何と云うのですか」
「瘤鬼」
「コブ記ですか」
「瘤の鬼と書いて、瘤鬼じゃ」
 妖怪博士付きの編集者はそこで顔を横に向けた。
 妖怪博士がよく使う手で、単に字面だけで妖怪を作る悪い癖を見抜いているためだ。
 
   了


 



   

     


2015年1月16日

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