小説 川崎サイト

 

本音と建て前

川崎ゆきお


 建て前と本音がある。建て前の中には名分がある。これは正当な理由のようなものだろうか。建て前は公人、本音は私人と解釈することもできる。私人の思いと名分が同じなら話は楽だ。この場合、思いと言うより利害だろうか。
 建て前通りやると、名分は立つが、誰もそんな名分など信じているものはなく、無視していることもある。決まり事があっても、それを守ると、危ないことになるので、正直に守っている人はいなかったりする。社会通念の、この念の中に、それが入っている。
 建て前と本音は違うが、本音を我慢し、建て前通りやっていると、そういう人だと思われる。だが、本人は我慢し、耐えているのだから、結構苦痛だ。本当はそんなことなどしたくないのだろうが、黙っていれば分からない。
 あまり感情が伴わず、利害関係も感じないような建て前なら、すんなりこなしていくだろう。建て前、決まり通りの行為は気持ちがいいことがある。儀式のようなものだ。しかし、こういう場合の建て前は、あまり本質的なことではなく、大した意味はないのだろう。
 建て前を無視し、本音だけでやっている人も、その本音の本音がまだあるのかもしれない。何が本音なのかが分からなくなるほど、タマネギの皮むき状態になる。そして、面倒になり、建て前に戻ったりする。
「建て前と本音ですか」
「そうです」
「使い古された話ですよ」
「そうなんですか」
「建て前に従った方が有利なときは建て前で、本音を吐きだした方が有利になる場合は本音で……これですなあ」
「さすが、世慣れたベテラン」
「いやいや、どっちもどっちですからなあ」
「建て前ばかり言う人が職場にいるのですが」
「それは、あなたが嫌われているためですよ」
「そうなんですか」
「あなたが言うことを聞かないから、建て前で押さえつけようとしているのです」
「そんな、見た来たように」
「違いますか? その人と仲がいいですか」
「悪いです。嫌いです」
「それはねえ、あなたが本音を言ってしまうからですよ」
「本当のことを言っただけです」
「その本当のことが本音でしょ。本当の値のようなもの」
「そうなんですか」
「見た訳じゃないから、想像です」
「どうしたらいいのでしょう」
「本音も建て前もなく、ただ単に相性が悪いのでしょうなあ」
「はあ」
「まあ、建て前を持ち出す相手には建て前で対抗しなさい」
「えっ」
「相手の建て前より上位の建て前をかますのです」
「なるほど」
 しかし、そんなにうまくいかないのが、人の情の怖いところだ。
 
   了
   

   



2015年1月20日

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