小説 川崎サイト

 

幸福の木

川崎ゆきお


「夜中に?」
「はい」
「夜中に鉢植えを持って歩いていたと?」
「そうです。夜中は言い過ぎですが、冬場は日が暮れるのが早くて、夜が長いので、そう言っただけで、実際はまだテレビのゴールデンタイム時間帯でしたかねえ。それが終わって、いつものように散歩コースを歩いていました。これは真冬でも健康のため、歩いています」
「その話はいいから、鉢植えの話を」
「主婦でしょうかねえ、中年の。近所の人だと思います。その人が鉢植えを持って急ぎ足で横切ったのです」
「ほう」
「私は大きい方の道で、その人は細い方の道から出て来て、鉢合わせになったのですが」
「あなたも鉢植えを」
「いえいえ」
「ばったり出合ったことを鉢合わせと言うでしょ。鉢と鉢を合わせたのではないかと」
「そんなこと誰がします」
「冗談です。続けてください」
「ぶつかるにはまだ距離が充分ある。しかし、そのままお互いに進めば確実にぶつかります。そこで私は道を譲りました。その女性の方が急いでいるようなのでね」
「はい」
「鉢植えを持って急ぎ足、これは急に止まると危ないでしょ」
「そうなんですか」
「だと思います。まあ、急いでいる方に道を譲る。それだけのことですが」
「どんな鉢植えでした」
「その女性が両手で抱えた状態で、頭から少し枝が出ている程度の高さです」
「じゃ、結構大きいですなあ」
「重いと思いますよ」
「どんな植物です」
「クルミだと思います。夜中に鉢植えを持ってウロウロするとすれば、これはクルミに決まっています」
「胡桃」
「そうです。クルミの鉢植えです。ああ、やってるやってる思いましたねえ」
「え、何をやっているのだと。まさか鉢植え泥棒」
「近所の人だと思いますよ。そんなことはなさらないと思います。そうではなく……」
「じゃ、何ですか」
「クルミのリップちゃんです」
「ああああ」
「幸福の木です」
「何と」
「きっとその女性、主婦でしょうが、そのおうちにクルミの鉢植えが来たのでしょうねえ。それで急いで他の家に持って行く最中かと」
「何ですか、それは」
「幸福の手紙と同じですよ」
「そんなのが流行っているのですか」
「らしいです。クルミのリップちゃんは、まあ、人面草のようなものです。実際には実ですがね。つぼみの状態は赤ちゃです。その頃が一番かわいいとか」
「それが幸せの木なら、人に渡す理由が」
「それはルールです。幸せを長く持つと不幸になるらしいのです。それで、その主婦の庭先か玄関先に持ち込まれたクルミの鉢植えを、急いで何処かの家へ運んでいるところだったのでしょう。捨てやすい場所、近すぎてもいけないし、遠すぎても重いので……」
「その現場をあなたは見られたわけですな」
「はい、そうなんですが、ただの鉢植えかもしれません」
「きっとそうでしょ。鉢植えをもらって、帰るところかもしれんからねえ」
「そうですねえ」
 
   了




   

   


2015年1月23日

小説 川崎サイト