小説 川崎サイト

 

マリア観音

川崎ゆきお


 誰が見ても観音さんなのだが、こういう仏像はよく分からない。観音さんと言うから、観音さんに見える。観音さんは女性っぽい。だから、観音さんのような女性だと、昔なら表現したかもしれない。他の仏像と観音さんとの違いは、見た目では分かりにくいのだが、その観音さん、実は聖母マリアだったりする。禁制の時代、隠れ信者が観音さんを拝んでいた。しかし、実はマリアさんを拝んでいたのだ。そういう仏像は今も残っている。
「それは隠れ信仰ですか」
 聞いたのは素人だが、答える田丸も素人だ。仏像に詳しいわけでもないし、宗教に詳しいわけでもない。
「それに近い信仰があるんだよ。裏信仰、隠れ信仰。でもそれは宗教だが、そうではなく物事に対する信仰のようなものもある。いや信仰じゃなく、信心だ。密かに信じているものだ」
「それは思想?」
「ただの迷信でもいいし、癖でもいいし、センスでもいい。何となく信じているものだよ」
「それと観音さんとはどう関係するの」
「パターンが似ている。観音じゃなく実はマリアだったとかね。これは世間の人が見ても気付かない。少し感じの違う観音像程度」
「そういうのを彫らせたわけですね」
「そうだろうねえ。マリアさんを念頭に置きながら、観音さんを彫った」
「はい、比重が問題ですねえ。あまりマリアさんに似すぎていると、まずいし」
「そういうことが世の中にもあると思う。観音だと思っていたら実はマリアだったとかもね」
「今は禁制じゃないでしょ」
「いや、隠すところがいいんだ。隠す必要がなくてもね。秘仏なんてそうだ。見せないからいい」
「じゃ、本当のことは伏しておいた方がいいと」
「物事だけではなく、その人の底に流れている信心のようなものかな」
「信心?」
「だから、何となく信じている、心の拠り所のようなものさ。あればいい程度だ」
「それは信心じゃなく、信念ですね」
「そうだね。信念だね。まあ、正体と言ってもいい」
「そういう体験がありましたか? 観音だと思っていたらマリアだったような」
「それは最後の最後まで分からない。深いところでの対決後、やっとそれが分かったりする。今まで騙されていたんだとね。まあ、悪いことだけじゃなく、善いことでもある」
「隠さないといけないような事情があるんでしょうねえ。禁制のような」
「世間が禁じているものはそうだろうが、別に禁じていないものでも隠す人がいる。得体を知られては損をするような感じでね」
「それは狡いですねえ」
「偽装、擬態のようなものだからね」
「はい」
「僕もそういう秘仏が欲しいですよ。特に何もありませんから」
「いや、そうじゃない。隠す必要のないものを隠すこともできる」
「えっ」
「しかし、何も隠していない。ところが、隠しているように見せかける。隠し事はないのに、隠している振りをする。中身は空だ」
「ほう」
「これで奥行きが出る。それが狙いだね」
「どちらにしても、ややこしい話ですねえ。竹で割ったような性格とは大違い」
「逆にマリアさんの姿をした観音さんはありますかねえ」
「さあ、西洋と東洋が混ざる辺りに、あるかもしれんなあ」
「マリア観音」
「それはもう言葉で言ってしまっているじゃないか。その場合、何も隠していないよ」
「ああ、そうですね」
 
   了
   

 


 


2015年2月10日

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