小説 川崎サイト

 

百を一にする

川崎ゆきお


「何もないところから、何かを作る。ゼロから一を作り、二にし、やがて十にし、百にする」
「それがコツですか」
「ところが、そうではないという言う人もいる」
「そうなんですか」
「百を一にする」
「その百は何処から出てきたのですか」
「いろいろと下拵えをしていたのだろうねえ。準備だ」
「その準備が百ですか」
「百を知っているが、使うのは一つか二つ程度。また使えるのもその程度とか」
「その百も一の集まりでしょ」
「さあ、それは質が違うのではないでしょうか」
「質が」
「何もないところから一を出す一と。下拵えで集めた中の一とは質が違う」
「じゃ、下拵えの一は簡単に手に入るのですね」
「努力次第でね」
「それはどういう話ですか」
「これはある著者の話だよ」
「物書きですか。他には当てはまりますか。私は物書きじゃないので、聞いても仕方がない」
「当てはまるかもしれませんよ」
「そうですか、じゃ、参考にします」
「そういう参考を百集めても、ゼロから捻り出した一ほどのことはない」
「しかしゼロから一を捻り出すため、百の努力をしたのなら凄い努力ですねえ」
「その先まだ百まで作らないといけないとなると、その何倍になるのか分からないほどの倍だ」
「それは何でしょう」
「だから、見えないところで、凄い手間暇をかけているという話ですよ」
「先生はどうなのです」
「手間などかけません」
「ああ」
「努力もしません」
「ほう」
「じゃ、百を一にするタイプじゃないのですね」
「私はどうでもいいような駄文しか書きませんから、適当でいいのです」
「はあ」
「ゼロから一を作りだし、その一から二を作る。そして三を作る。それでふつうでしょ」
「じゃ、百を一にするとは」
「言い過ぎでしょうねえ」
「ゼロから一を作るのは、どうですか。手抜きですか」
「いや、決してゼロじゃないんだ。膨大な記憶からはじき出された一だからね。」
「経験や記憶ですか」
「記憶と言うより直感だろう。このとき、かなり頭の中でアクセスしておる。ここでいけるかどうかが決まる。二を出せる一か、二が来ない一かを判断する。二は来るが三が来ない一かもしれない」
「じゃ、ゼロから一は嘘ですか」
「百を一つにするのも嘘だ」
「では、真実は」
「こういうのは自分に都合のいい真実を上げる。だから、そんなことを言っている極端な話は信用しないことだね」
「じゃ、先生もゼロから一を生み出すのも」
「そうだよ。それも含めて眉唾物。だから、そんなことを言わない人の話が好ましい」
「そうですねえ。極端は危なそうですからねえ」
「まあね」
 
   了
 


   


2015年2月13日

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