小説 川崎サイト



ある尾行

川崎ゆきお



 正蔵は長一郎を尾行していた。どちらも老人だ。
 正蔵は長一郎のことを知っている。喫茶店でよく見かけるのだ。長一郎も正蔵を見ているはずで、顔だけ知っている関係だ。
 もし二人が別の場所で出合えば、知らない仲とは言えない。
 お互いに見たことのある顔なので、面が割れていると言える。
 正蔵が顔を見られないように尾行しているのはそのためだ。
 長一郎はプラットホームで電車を待っている。正蔵は少し離れたベンチから見ている。
 通勤ラッシュが終わり、ホームに立つ人数も少ない。長一郎が振り返れば正蔵の姿を捕らえることが出来るだろう。しかし振り返らないのは用事がないためで、老人はあまり動かない。
 二人は朝の喫茶店でよく見かける。ほぼ毎日通っているためだ。モーニングサービスを食べにきているのだ。
 トーストをかじりながら新聞や週刊誌を読む。これは二人とも共通している。小一時間ほどそれで過ごす。
 正蔵はいつもの普段着だが、長一郎はスーツで来ることもある。
 正蔵の日課はこれで終わり、外に出ることはない。一日一度だけの外出なのだ。出掛け先がないためだ。
 正蔵が気になるのは、長一郎はどう過ごしているかだ。
 ただそれだけの好奇心で長一郎を追いかけ、駅まで来た。
 正蔵は年をとってから電車に乗る用事がなくなっている。会社帰りに寄っていた歓楽街も、今は行く気もしないし、その元気もない。町に出ても買いたい物もない。遊ぶ気も失せている。
 電車が入ってきた。
 気付かれないように正蔵も乗り込む。久しく忘れていたドキドキ感を味わう。心臓が高鳴る。薬を持ってきているので大丈夫だ。
 正蔵は長一郎が何処へ行くのか気になる。喫茶店以外の外出先を持っていることが羨ましい。
 これは正蔵でも可能だが、ネタがないのだ。参考までに長一郎のネタを知りたかった。
 電車は終点の都心の駅に着いた。
 長一郎は改札へ向かわず構内のパーラーに入った。大きなガラス窓なので店内がよく見える。
 長一郎は一人でコーヒーを飲み、煙草を吸っている。
 正蔵はずっと見張っていたが、誰かと会っている様子はない。
 そして出てきた長一郎は改札を無視し、帰りの電車に乗った。
 正蔵は尾行をやめた。
 
   了
 
 



          2007年1月25日
 

 

 

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