小説 川崎サイト



鴬谷渓谷

川崎ゆきお



 渓谷の名は鴬谷。地図にその名はない。土地の人が付けた名でもない。
 都心部から山越えの道路は他にもある。鴬谷を通る車は稀だが、確実にある。
 鴬谷を抜けると何でもない村落に出る。宇沢村だ。ここで行き止まりではない。
 鴬谷のある道路は都心側から宇沢村への専用道路かもしれない。宇沢村経由の抜け道としての役目はない。山越えには幹線道路が走っており、そちらを利用したほうが早い。
 古地図に宇沢道と出ている。かなり古い道で、宇沢村の人達が作ったのかもしれない。
 一車線の細い道だが、舗装されていない膨らみが随所にある。すれ違うときの余地だろう。
 以前は道沿いに畑か茶店でもあったのか、渓谷の狭苦しさはない。
 鴬谷はこの道路の中で、一番山が迫っている場所だ。繰り返すが、そこを鴬谷とは土地の人は呼んでいない。
 古賀は車で鴬谷に入った。深夜近い。かなりゆっくりしたスピードだ。安全運転なのではない。古賀は鴬谷を知る男だった。車を何台か目撃する。古賀は鴬谷を抜けた。
 迫っていた崖が遠のき、宇沢村の明かりが見える。道路脇にワゴン車などが数台停まっている。車内には誰もいない。鴬谷を通過しているときに見た車とは種類が違う。車種ではなく、目的が違うのだ。
 古賀もその近くに車を寄せて停める。
 大きなショルダーバッグを袈裟懸けにし、山道に入る。鴬谷へ引き返す感じだ。
 山道は暗闇のため、懐中電灯で足元を照らす。
 前方から明かりが近付く。
「やあ」
 古賀と同年配の中年男が軽く声掛けする。服装も似ている。
 この男も鴬谷を知っている。同類なのだ。
 鴬谷を見下ろせる場所まで出た。
 既に先客がいる。
 古賀はその男の背後に回る。狙っているターゲットはかなり遠い。よい機材を持って来たのだろう。
 男は古賀に気付いた。
「駄目だな角度が」
「覗いていいですか」
「どうぞ」
 昼間のように明るい。古賀は感動する。
「プロ仕様だよ。悪用だけどね」
 ターゲットの近くで赤いランプが点灯している。
「素人だな。テープ張らないとね。肉薄する気だな。もう終わってるのにね」
 ターゲットからエンジン音が聞こえた。
 
   了
 
 



          2007年1月26日
 

 

 

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