小説 川崎サイト

 

謎の三本松

川崎ゆきお


 少し別の体験をすると刺激になる。初めての体験なら、それをクリアしたことだけでもすっきりするかもしれない。その体験の中身にもよるが。
 別の体験といってもいつか何処かでやったような体験が多い。これは時期にもよる。もう忘れていたような体験なら、思い出しながら体験することになり、徐々に記憶が蘇るのも快感だが、いやな体験の場合、その限りではない。何度体験しても、いやなものはいやだろう。しかし、二度目三度目となると、次に何が来るのかが予測できるので、初回ほどの苦しさや辛さはないかもしれない。
 そういった重そうな体験ではなく、いつもとは少しだけ違う体験は刺激になる。ちょっと別の道を通るようなものだろうか。大して違いはなく、中身もあまり変わらない。そういう体験で大きく人生が変わるわけでもない。
 木村はその日、いつもとは違う道を自転車で走っていた。しかし近所でもあり、また以前もよく通った道なので、初めての体験ではない。あるべきものがやはりあり、道は同じだが、見慣れない建物が少しだけある。それは小さな体験だが、周囲は体験済みのものばかりなので、小さな変化もそれほどない。全体は変わっていない。
 それは建物ではなく、大きい目の松の木だった。松なので神社にあるような神木ほどの巨木ではない。しかし、周囲の庭木や並木に比べると、高い。そんなものがあったのかと木村は逆に新発見に驚いたが、びっくりするような驚き方ではない。
 よく通っていた道筋なので、あるべきものは大体見ていたはずなのだ。そんな高い木があれば、気付いていただろう。
 周囲をよく見ると、歯が抜けていたのだ。何が建っていたのかは忘れたが、取り壊されたらしい。その建物で大きな木が隠されていたのだろう。その松は三本ほどある。家の庭に植えられているのだが、どう見ても神社の境内に見えた。狭いのだが庭木とは思えない。なぜなら松の木の下には何もない。そして、結構古そうな家がある。周囲にも二階建ての家は多数建っているが、その家は三階もあるほどの二階屋だ。農家ではない。そういう農家は、少し行ったところに集まっている。だからここは昔でいえば村はずれ。
 その大きな二階屋は屋根ぐらいは見ていたので、知っていた。しかし、そんな大きな木は通りからは死角になっていたのだろう。別の通りからも見えない。また、その二階屋も奥まったところにあり、通りに面している門から、母屋まで距離があるようだ。そこは人の敷地内の飛び石の敷かれた通路のようなものだ。
 要するにどの道から見ても、この屋敷は奥まった場所にあるため、上空からでも見ないと、その存在が分かりにくい。ところが通りに面していた建物が消え、歯が抜けたため、そこから大きな木が見えたのだ。隠されていたものが出てきた。日常内だが、ちょっとした体験だ。
 母屋とその松の木との間はかなり距離があるためか、庭として見た場合、端っこにある。そういうところには目隠し用か防風林、または日差しよけに植えられていたのではないかと思える。母屋から見て真南。だから、日除けにもなるのかもしれない。
 木村が見ている角度からでは築山のようなものが見えるだけで、庭全体は見えないが、端っこであることだけは分かる。
 または、何かの祠跡だろうか。大きな屋敷なので、お稲荷さんや地蔵さんでも祭っていたのかもしれない。地蔵盆用の祠なら町中にあってもおかしくはない。
 結局何かよく分からないのだが、歴史的大発見になるわけでもなく、郷土史に何かを書き加えるほどのことでもない。大昔からあるような二階屋でもなく、松の木も古木ではない。
 よく知っている場所でも、久しぶりに通ると、少しだけ別の空間を見せてくれるようだ。
 
   了

   

 


2015年3月1日

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