小説 川崎サイト

 

知覚と思惟

川崎ゆきお


「今日は感覚や知覚と思惟の話をしましょう」
「カンカンと椎茸の話ですか」
「よくそこまで飛ぶのう。まあ、そう言うことなんだが」
「合っているのですか」
「で、カンカンって何ですかな。感官のことですかな」
「缶です。空き缶です」
「あ、そう、その缶ではなく、感覚、つまり目や耳などの感覚の話です」
「はい」
「思惟は、思い考えることです」
「最初からそう言えばいいのに。だから、カンカンと椎茸が来たのですよ」
「その連想こそが全てです」
「あ、はい。もう解答ですね。今日は有り難うございました」
「待たぬか。まだ話の下り、一番美味しいところを私は語っていない。これではカタルシスが足りない。あ、先に注意しておきますが、カタルと、語るを重ねないように」
「はい、語るに落ちたなんて言いません。腸カタルと本当は言いたかったのですが」
「既に言っておるではないか」
「早く結論の語りをお願いします」
「感覚や知覚と思惟は同じなんじゃ」
「先生、その椎茸はやめてください。感覚は分かりますが、思惟と重ねたとき、すぐに重なりません。思うでいいんじゃないですか。考えるでいいんじゃないですか。纏めて、思考じゃだめですか」
「そうじゃのう。わしも物の本で読んだことなので、そのときの言葉をついつい出してしまう。私は馴染んでおるが君は慣れない言葉なので、使いこなせないのだろう」
「そうです。でも人にものを教えるわけですから、分かりにくければ、主旨に反しますよ。何も伝えていないことになります」
「主旨はいいのかね」
「はい、主旨は分かります。よく使いますが、思惟は使いませんよ先生。これって、常識でしょ」
「そう言う感覚がそもそも考えなんだよ」
「はいっ?」
「感じたことと考えたこととは、殆ど同じなんじゃ」
「へー」
「分けて考えるからおかしくなる。そんなもの一緒にやっておるのです」
「じゃ、普通じゃないですか」
「ああ、そうかね」
「普通の話を、さも何かあるように語るからいけないんですよ。紛らわしいです」
「そうかね」
「みんなが知っていることを、さも発見したように話すから、イライラするんですよ」
「ああ、そうかね」
「嫌いな人の話は、何を聞いても嫌いですし、いくらいいことを言っても、それは間違いのように思えたりします」
「原始的な」
「基本はそうでしょ。好き嫌いって感覚でしょ。その中に全部入っているんですよ」
「そうなのです。それをわしは言っておるんだ」
「え、そうなんですか」
「人間は所詮観念の奴僕なんだ」
「一日一つでいいです。観念なんて、また次にしてください。そういうのを連発するから、さっき覚えたこと、すぐに忘れてしまうんです。もうカンニンしてください」
「じゃ、感覚や知覚と思惟、つまり、思い、考えることとは同じだけでいいか」
「はい。しかし、ごっちゃで普通でしょ。それ以外、何かありますか」
「君は、知覚と思惟は違うとなぜ言わない」
「え」
「そうでないと、その理由を説明する楽しさが、私にはないじゃないか。カタルシスがないじゃないか。そして君は、それを聞き、ああそうだったのかと驚いた顔をして欲しかったんだ」
「はいはい、じゃ、次回から、授業料は先生が僕に払ってください。それなら、先生のリード通り受け答えするサービスに心がけますから」
「ああ、もうよかろうて」
「コヨーテを連想してはだめですね」
「だめ」
 
   了



2015年3月15日

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