小説 川崎サイト

 

素うどんとちくわ

川崎ゆきお


 坂口がその駅に降り立ったのは何十年かぶりだろう。普段用事があって寄るような町ではなく、また遊びに行く機会もない。そんな場所は数え切れないほどあるので、珍しくはなく、一生そのまま訪れることのない町の方が多い。ただその夙井という町は近くにある。そのため、行こうと思えばいつでも行けた。
 最後に夙井へ行ったのは中学生の頃だった。夙井へ行くのが目的ではなく、そこは渓谷の入り口で、市街地から一番近い山で、冒険心の強かった坂口は山歩きが好きだった。夙井は近場であり、行きやすかったのかもしれない。電車で僅かな時間で行ける山で、効率がよかったのだろう。ただ、渓谷沿いの山々は採石場が多く、砂利や砂を積んだダンプカーが狭い幹線道路を走っていた。銅山跡もある。小学生の頃はここで大きな水晶を発見した。
 人には動機がある。きっかけでもいい。この場合、その思い出が少しだけ着火したため、それが消えないうちの翌朝、早速出掛けたのだ。もう勤めも終えた隠居さんなので、そんな呑気なことで動けるようになっている。夙井の山の思い出とは別に、駅から少し外れたところにある駄菓子屋を思い出していた。食堂でもあり、玩具や日用雑貨品も売られていた。お好み焼きのテーブルが一つだけあった。
 最後に夙井へ行った中学生の頃も、ここに入り、素うどんを食べている。そのお婆さんは腰が曲がっているが、元気そうで、上品な人だった。おそらくここに嫁入りし、ずっと、ここで暮らしてきたのだろう。食堂には老婆しかいない。一人で全部やっていたようだ。
 そのとき食べた素うどんが美味しかった。何も入っていない素うどんなのだが、薄く切られたちくわが愛想のように浮いていた。
 やはり思い出のある場所を訪ねるのは、きっかけがあるためだろう。思い出という。しかし、年月が経ちすぎている。夙井の町も変わったはずだ。
 ところが駅舎は何十年前とそれほど変わっていない。駅前といっても、すぐに山が迫っているためか、特に開発をするような場所ではない。坂口が来た頃は、この鉄道は単線で、一時間に一本しか便がなかった。
 駅舎は古いながらも自動改札になっており、狭い駅前広場はそのままで、パイナップルを大きくしたような木が植わっているのも、そのままだ。かなりの樹齢だろう。
 少しだけ商店が並び、その先を右に入ると、住宅が少しだけある。採石場で勤める人の住居かもしれない。あれからも山を削り続けているのだろう。道の脇に砂が溜まっている。まだダンプが走っているのだろう。意外と変わっていないのだ、この町は。それは記憶を紡ぐにはもってこいだ。大概は一変しているもので、別の町のように見えるはず。
 その住宅地に入る手前に例の食堂が残っていた。奇跡のようなものだ。建物は改築され、小綺麗になっており、駄菓子はメーカー品の袋物に変わり、玩具はカプセル売りになり、タワシが吊されていたように記憶していたが、雑貨品は消えていた。駅近くに百均が出来ていたので、もう並べる必要がないのだろう。
 暖簾を守ると言うが、古い暖簾がそのまま掛かっているわけではない。やはり汚れるのだ。ここは砂埃が結構ある。そのため暖簾は新しいが、うどん、丼物一式、お好み焼きと白地に筆文字でしっかりと書かれていた。その暖簾に記憶がないのは、そこまで注意して見ていなかったのだろう。
 そして、一つだけあるお好み焼きのテーブルは、新しくなっている。昔はガスではなく、下に練炭を入れて焼いていたのだ。
 そして普通の安っぽい足の細いテーブルが一つ。坂田はそこに座った。まだ昼前なので、客がいないのだろうか。
 壁の品書きを見ると、うどんや丼物が並んでいるが、素うどんもしっかりと書かれていた。
 店内は結構内装を変えているが、それもまた古くなっている。何十年も経過しているのだから、当然だろう。
 店の人がいないので、坂口は「すみませーん」と奥へ声を掛ける。ここにも暖簾がある。その奥は暗い。食堂と住居がくっついているのだが、母屋は結構大きい。屋敷と言ってもいい。
「すみませーん」ともう一度声を出すと、返事が聞こえてきた。もの柔らかな女性の声だ。
 そして、奥の暖簾から姿を現した腰の曲がった上品そうな老婆を見て、坂口は仰天した。椅子が少し後ろへずれたのか、悲鳴のような音を立てた。
 しかし、それはすぐに誤解だと知った。何十年も前の老婆がそのまま現れるわけがない。
 どの代になるのかは分からないが、あの頃の老婆の息子か孫の嫁ではないだろうか。
 坂口は素うどんを注文した。そして出て来た素うどんの中に薄く切られたちくわが浮いていた。暖簾は守られていたようだ。
 
   了





   


2015年3月22日

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