小説 川崎サイト

 

焼きそばとポーカーフェース

川崎ゆきお


「そうか、焼きそばがあったか」
 昼前に喫茶店で寛いでいた三島が少し嬉しそうな顔をする。しかし本人はそう思っているだけ、そんな顔にはなっていない。一人コーヒーを飲みながら微笑んだのでは、気味が悪いだろう。あくまでも気持ちが嬉しくなった程度だが、それでも僅かだが表情が緩んだ。この緩み程度では誰も気付かないだろう。気付かれても困るような問題ではないが、三島は外では極力無表情に努めていた。特に理由はないが、長年人と接する仕事をしてきたため、その職業柄、表情を見せない癖が付いていたのだ。これは手の内を読まれるとか、表情で、何等かの心情の一端を覗かせるなどを禁じていたからだ。所謂ポーカーフェースだが、これは完璧ではない。何処かに出てしまうのだ。こめかみのあたりが、ぴくっとするとか、鼻が少し開くとかだ。このあたり、自律神経か何かで、勝手にやっていることが多く、意志で止められないこともある。
 それよりも焼きそばだ。「焼きそばがあった」。焼きそばなら世の中にはいくらでもあるだろう。だから買い置きがあったと言うことだ。三島は食後喫茶店へ行くのではなく、食前に行く。喫茶店で少し調べ物の続きをしたり、一寸した書斎代わりに使っているため、食後では頭が回らないのだ。空腹時ほど頭が冴えるらしい。
 その焼きそばは、そばを焼いた、所謂焼きそばではなく、まだ焼いていない。焼くか炒めるのかのか、どちらでもいいが、三玉ほどの中華麺とソースが付いている。この中華麺は焼きそば用なので、少し油が入っている。それはどうでもいいが、焼きそばを思い出したのは、喫茶店から帰ってから米を洗い、それを炊き、おかずを用意しないといけない。それが、その日はどうも面倒で、何もしたくなかったのだ。特に気に入ったおかずの買い置きもないので、適当なものになる。それよりも用意するのが面倒なのだ。
 そこできたのが「焼きそばがあったのか」だ。「俺にゃ生涯てめえという強い味方があったんでー」は国定忠次が次の赤城山で愛刀を手にして言うセリフだ。焼きそばとでは次元が違うが、頼りになるものがあったのだ。忘れていたわけではないが、たかが焼きそばだ。しかし豚肉やキャベツもそれに合わせて買っていた。ただの中華麺と粉末ソースだけでは盛りあがらないだろう。
 と、それを思いつつ。これに類する嬉しい忘れ物のようなものはないだろうとも考えた。すっかり忘れていたもので、それほど価値は高くないのだが、焼きそば程度でもいいから、こういった嬉しい気分になれるようなものだ。
 三島は類を探した。今のこの焼きそばに匹敵するようなものを。
 そこで思い出したのは、同じような事柄ではなく、三つなのだ。この三つが曲者だった。思い出せなかった原因は、この三つのためだ。つまり焼きそばは既に昨日の昼に食べた。だから、もうない。と思ってしまったのだ。三つパックであることは知っていたが、焼きそばは昨日で終わったと思い込んでいたのだ。あと二つもある。これが連休なら、大したものだ。まだ二日休めるのだ。
 しかし、良い例ばかりではない。その焼きそば、麺や粉末スーが気に入らないものだった場合、まだ二食分残っているのかと思うと、あまりいい気はしない。三島は辛い焼きそばが好きだ。これは粉末スープで決まる。似たような商品が色々なところから出ており、その中にソースとは思えないようなのがあった。あとでよく見ると醤油味となっていた。これはトラップだ。焼きそばはソースで、焼きそば専用ソースまで売られているほどだ。焼きそば専用醤油など聞いたことがない。だが、その焼きそばパックに入っていた粉末は、醤油味だったのだ。このときの違和感が何との言えない。最初舌がおかしくなったのかと思ったほどだ。結局粉末醤油味風ソースは使わず、買い置きの普通のトンカツソースで食べた。
 良いものの三連ちゃんとは限らない。しかし、そういうことがあったとしても、喫茶店から戻ってきてから米を洗う手間がないし、炊けるまで待つ必要もない。「焼きそばがあった」からだ。
 三島は、今度は油断し、ポーカーフェースも忘れ、少しだけ口元をほころばせた。
 
   了

 



2015年3月27日

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