小説 川崎サイト

 

視線の死線

川崎ゆきお


 年中部屋で閉じ籠もっている城島は、何とかきっかけを見付け、外に出たかった。別に軟禁されているわけではない。世の中が怖いというか、特に人が怖い。ただ、そんな対人恐怖症のよう感じではなく、外に出ていた頃は、愛想の良い青年だった。誰とも気さくに話をするような。そのため評判も悪くなく、城島を嫌うような人は特にいない。これは万人受けし、八方美人ではなく、防御タイプのためだ。何事も控えめで、目立った行動はしない。もし城島を嫌う人がいるとすれば、城島自身だろう。
 これではいけないと思い、外に出るきっかけを秋頃から窺っていた。それは春だ。秋は徐々に寒くなるため、外に出るにしても一日一日寒くなるため、ますます出にくくなる。だから、スタートとしては春の初めがふさわしい。
 その春がやってきた。もう寒いので出にくいとは言えない。問題は気持ちだ。その気持ちについて内省したのだが、どんな気持ちなのかが分からない。引き籠もっていてはいけないので、外に出る。これが目的だったはずだ。これは大きな目的で、ここで外に出られるようになれば、人生の展開も違ってくるはずだ。長く通っていなかった専門学校にも戻れるが、もう二年になるため、卒業している頃だ。流石にこれは無理なので、また別の専門学校へ行くことにする。スタートとしては時期も良い。専門学校など入試も何もない。ただ、前回はアート系の専門学校だったため、ついて行けなかった。絵心がこれっぽっちもなかったからだ。そういう初心者ても大丈夫、基礎から教えますとなっていたが、向き不向きがあるのだろう。教えられてアート感覚が上がっても、手が付いていけない。
 そこで次は英会話か、簿記が良いのではないかと思った。これは何でもいいのだ。通学して、座っているだけで良い。そんな状態では二年制だと、上には上がれないから、できれば一年製が良い。卒業できなくても良いのだ。そういう専門学校を毎年梯子すればよい。
 しかし、その前に外に出るのが怖いというのを治す必要がある。そのため、秋から決めた春スタートの外出作戦に、そろそろ出る頃だ。暖かくなってきており、菜の花も咲いているらしい。桜も咲き始めており、今なら出やすい。気候的に。
 だから、あとは気持ちの問題なのだ。玄関を開け、門を出れば、外だ。簡単なことだ。しかし、表に出たとき、近所のおばさんに見られるのがいやだ。あの視線は、正に死線で、死にそうになる。
 しかしここで我慢して、出なければ、きっかけを掴めない。外にさえ出れば良いのだ。そして、近所を少し歩いて戻ってくればいい。近所には病気で長い間自宅療養していた、となっているので。回復したことにすればいい。
 こういうとき、妙な作戦に出て、つまり変装し、別人になりすまして、家を出るとかもあるが、これはばれたとき、結構恥ずかしい。そんな妙なことをする人間だったのかと、逆に深手を負う。
 しかし、このとき既に、城島が引き籠もり青年であることは近所では皆んな知っていたのだ。だからもう少し離れた場所までワープできれば、それらの視線を回避できる。
 この視線の槍衾、十字砲火が最大の敵だ。ここを突破する方法がない。やっと外に出ようと決心していたのに、これでは無理だ。
 敵がいない場所まで穴を掘って、そこから出るか。そんなことまで考えた。
 深夜ならどうだ。その時間なら近所のおばさんの視線はない。寝ているはず。強敵はおばさん達で、その他の住人は我慢の範囲内だ。あのおばさん達の視線、そして、すぐに他のおばさんと話題にし、噂を一気に広めるあの口。だから、一匹のおばさんに見られただけで、たちまち何匹ものおばさんに伝わる。
 深夜ならそれがない。とりあえず、外に出たい。出たことに意味があり、これがスタートとなる。
 深夜の二時、城島は決行した。玄関ドアを開け、門の鉄柵をギシッと開け、表の道に出た。やったのだ。長い引き籠もり記録がここで終わったのだ。そして、数歩行くと、人が横に並んでこちらを見ている。近所のおばさんが団体でこちらを見ている。というような怖い想像をしたが、そんなことはこの時間帯あり得ない。住宅地の通りは静まりかえっており、外灯だけがぽつんぽつんと奥まで灯っている。二三歩踏み出すと、隣の家が見えるが、窓は真っ暗。それでいいのだ。当然のことだが。ここで一斉にどの家の窓も明るいなど、そんなことはあり得ない。大体からして、もう近所の人は城島のことなど忘れているはずで、気にも留めていないだろう。
 そして、町内を一周して、戻ってきたのだが、すっきりとした気分にはならない。外に出たという気持ちも低いもので、これでは春スタートの意味も薄い。
 門を開け、玄関ドアを開け、二階の自室のドアを開けたとき、そこに町内のおばさんが全部いて、集中砲火を浴びた。と言うこともなく、いつもの籠城部屋で考え込んでしまった。晴れ晴れとしない。
 ここはやはり正面突破しかないのだろう。正々堂々と昼間、何の策も弄しないで、普通に門から外に出ることだ。
 しかし、それができないから悩んでいるのだ。専門学校へ行き出すと、どうせ顔を合わせないといけない。何処かですれ違ったりする。しかし、精神的な支え、なにがしかの鎧が欲しい。素ではやはりいやだ。
 そこで城島が考えたのは魔除けの念仏だった。もし、おばさん達と出合ったら、念仏か呪文を唱え、あの視線から身を守る。そしてどのお経でも念仏で良いのか分からないので、お爺ちゃんが読んでいた般若心経にした。その文句の解説によると、五感も空だ。何もないのだ。だから、視線も空なのだ。あれは空砲なのだ。これで、おばさんの視線を封じられる。視線即空。
 翌日の昼間、城島は表に出た。そして庭先にいた隣りのおばさんが城島を見て手を合わせた。次に出合ったおばさんもそうだ。般若心経が効いていたのだ。
 しかし、策を弄しないと言いながら、城島はお爺ちゃんが宴会芸で使っていた十八番の雲水の衣装を着て托鉢のような格好で外に出てしまったのだ。やはり鎧が必要なのだ。
 しかし、近所の噂はすぐに伝わった。城島が僧侶になるらしいと。
 ああ、その手もあったのかと、おばさんらも良いアイデアを提供してくれたと、感謝した。
 城島はその後、フルフェースで顔を完全に隠してしまえる虚無僧になろうとしたが、これは尺八が吹けないので無理なので、ただの私僧になった。何処の本山にも所属せず、得度も受けていないが。
 それで、托鉢の雲水のようなスタイルで、簿記の専門学校へ、この春から通えるようになった。やはり鎧は必要なのだ。お寺さんも経理が必要だろう。学びに来てもおかしくはない。
 その後、税金や会計の仕事に向いていたのか、税理士になった。他人の視線を気にするように、税務署の視線を人一倍敏感にキャッチできるようで、城島に頼めば税金が安くなると噂が広まり、今では先生と呼ばれている。
 これは言う必要はないが、引き受けている企業のオフィスへ行くとき、流石にもう雲水姿ではない。
 
   了

 


 


2015年3月30日

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