小説 川崎サイト

 

墨の家

川崎ゆきお


 若い人ほど合理的な考え方を持っているのは、今も昔も変わらないかもしれない。ただ、決まり事があり、それが変えられない場合は、その限りではないが、徐々に昔風な長ったらしい行事が少なくなった。
 この合理性が発症するのは大人になる寸前だろうか。もっと若い頃から発症する場合もあるが、合理化を図るだけの力がないし、発言権もない。ある程度、自分の采配が効く頃になってからだ。
 初音、これは女性ではない。初音という姓だ。この家は代々習字の先生を家業としているが、書道家と言うほどのものではない。その先祖は寺子屋で教えていたらしい。だから、老舗の習字塾だ。
 この家の孫の公一が、合理性がどうの合理化がどうのを発症した。
 流石にお爺さんには面と向かって言わないし、このお爺さんを敵に回すとまずいので、お父さんに、色々と言い出していた。どうせ自分が跡を継がなければいけないのだから、今のうちに合理化を図ろうとするものだ。
 しかし、革命的なことを考えているわけでもなく、改革と言うほどのことでもない。家庭内での台所の配置換えのようなもので、より使いやすいようにシステムキッチンに変えるとか、その程度の話だ。
「硯がいけないのですよ。お父さん」
「どうして」
「筆ペンでいいじゃないですか。それに畳、何度変えましたか。子供がこぼすからですよ。その経費は結構かかります」
「だから、上敷きを敷いておる。中に染み込んだのは仕方がないが、滅多にない。すぐ拭けばよい。それでだめならゴザのような安い上敷きを買えればいいんだ」
「その上敷き代だけで馬鹿になりませんよ。だから、硯を使って墨にする行程はいらないんじゃないですか」
「ああ、私も面倒だし、第一お爺さんなんて、自分ですらないよ。神経痛で指が痛いってね」
「そうでしょ」
「だから、長い間私がすってあげていた」
「今度は僕がするんでしょ」
「まだそんな年じゃないよ。それよりどうしたものか」
「硯はやめましょう」
「しかしねえ、公一や、あれをするから習字なんだ」
「墨汁を買ってきた方がいいですよ。するだけで時間がかかるし」
「だから、その時間が良いんだよ。その間、特に難しいことをやっておるわけじゃない。ただ、ここで手を抜くと、良い墨ができん」
「そんな、スープみたいに」
「墨汁でもいいし、筆ペンでもいいが、それなら、良い筆を生徒に買わせるときの口銭が入らん。やはり、高い筆を買って貰わんとな」
「じゃ、墨汁でいいじゃないですか」
「しかしなあ、字を書くとき緊張するんだ」
「お父さんでもですか」
「お爺さんもそうだよ」
「そう言えば、僕も少しは緊張します」
「生徒の見ている前でやり直しはきかないからね」
「そうです」
「だから、精神統一の時間が必要なんだ。それが硯だ。ごしごしやりながら、気持ちを静めていくんだ。相撲でもいきなり立ったんじゃ、早すぎるだろ。何度も仕切り直しをして、気持ちを徐々に上げていくんだ。しかし、あれも今は短くなったけどね」
「そういう儀式が必要なんですね」
「お爺さんが引退したのは、自分ですれなくなったからだよ」
「そうなんだ」
「それにうちにある硯はね。国産じゃない。江戸時代に先祖が仕入れた中国産だ。大きいだろ。それに重い、瓦じゃなく石だからね。それに龍の絵が刻んであるだろ。これは貴重品なんだ。そういうのがいくつかまだ残っておる」
「僕もお爺さんから一つ頂きました」
「生徒の硯と比べてみなさい。格が違う。先ずこれが良い。これだけで箔が付く。もう売っていないんだからね。まあ、お爺さんは筆は握れるが硯がきつくなったとき、墨汁を流し込んでいたがね。無駄なことも多いが、年を取ると、その無駄な時間が休憩時間になる。公一もいずれそうなるから、合理化もほどほどにすることだな。自分で自分の首を絞めることになるから」
 しかし、年々子供が町内から減り、書道教室ではやっていけないようになった。
 と、思っていたのだが、近くに高層マンションが建ち、そこの子供が習いに来るようになったため、持ち直した。
 最近では、公一は合理化をやめ、筆ペンや墨汁もやめた。逆に子供達は硯や筆が新鮮だったようだ。また、いきなり書くより、硯を使っているときは休憩できるためだろう。
 やがて公一が年を取ったとき、高層マンションもそれ以上建たないため、大人向けの書道塾に模様替えした。畳の上で正座し、儀式のように硯を使う。これはもうお茶やお花のようなもので、それなりに憩えるようなのか、何とかこれで持ち直した。そして、ベテランはもう大きな字ではなく、小さな字で、写経などをやっている。
 当然若い頃の合理化云々の発症は、とうの昔に治まっていた。
 
   了




2015年4月19日

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