小説 川崎サイト

 

仮面が剥がれるとき

川崎ゆきお


 風邪を引いたのか、体調が悪いのか、富岡は不調だ。寝込むほどではないが、喉がえがらっぽく、頭が痛い。歩く度にずきんずきんとするほどではないが、違和感がある。食欲がないため、ざる蕎麦でも食べようとコンビニへ自転車で向かうが、そのスピードが早い。いつものペダルの踏み方で特にスピードを出しているわけではない。風景の移動が早いのだ。だったらスピードを出しているはずなのだが、そうではない。ゆっくり目に踏んでも、やはり早い。風景が飛ぶ。間が欠けているように思える。コマ数をけちったアニメを見ているようで、滑らかさがない。それに合わすように、スピードを上げたりする。また、自転車置き場からドアまでも早足だ。ドアを開ける腕の動きもてきぱきとしている。テンポのよい身動きをしているわけではなく、動きがコマ落としのようになる。間がよく見えないのか、ぎこちない。それにつられて動きが早くなるのだろうか。こういうときは危険なので富岡はゆるりとした動作を心がけるのだが、ざる蕎麦を掴む手がやはり早いし、レジで小銭を取り出す仕草も早く、百円玉や一円玉を手の平からつかみ出すテンポも早い。店員の礼に「ああ有り難う」と返すが、非常に早口だ。そのため、体調が悪いどころか、非常にゲンキナヒトのように見えられてしまう。そんなものをコンビニのバイトに見られてもどうということはないが、見知ったバイトなので、きっと今日は威勢がいいと思ったに違いない。
 コンビニからの帰り道も、追い風でも下り坂でもないのに早い。
 部屋のドアを開けようとすると、中から電話の音。急いで靴を脱ぎ、廊下を走り、切れないうちにさっと受話器を掴んだ。
「お忙しいところ、畏れ入ります。いらなくなった着物やアクセサリーなどがございましたら……」
 富岡は怒鳴り散らした。隣近所に聞こえるほど。
 いつもなら、適当にあしらうのだが、その丁寧さがない。温和で大人しく、言葉も丁寧な富岡だが、ここで地金が出るのだろう。
 長く人の言うなりに生きてきて、逆らったことは殆どない。その方が有利で、居心地がいいためだ。いやな仕事でも表情に出さず、にこやかに引き受けた。どうせ断れないし、そんなことをするとあとでひどい目に遭うためだ。意見がぶつかり、トラブルになり、禍根を残す。どうせやらないといけないことなら、主張などせず、はいはいと引き受けた方が得なのだ。それは処世術と言うほどのものではない。逆に出世しないだろう。
 長年それを磨き上げてきたのだが、こんなものは化けの皮で、一寸体調を崩すと、短気な性格が出る。本当は喧嘩早く、すぐにいらっとなるタイプだ。それを押さえ込んでいるのだが、体調の悪いとき、それが剥がれるようで、これは注意に注意を重ねているが、年を取るに従い、それが禿げてきた。
 腰の低い大人しい人、従順な人のイメージはまだ維持しているのは、長年の努力のおかげだ。そういう反応をするようになっている。
 ところが体調が悪いとき、それが剥がれるため、富岡は心配になってきた。愚鈍ではなく、本当はしゃきしゃきと動き回るタイプなのだ。
 人の性格は変わらない。ただ、偽装はいくらでもできる。年月を経ると仮面の方が本当の顔になってしまうのだが、それが違うことは本人が一番よく知っている。
 
   了




2015年4月24日

小説 川崎サイト