小説 川崎サイト

 

自慢話

川崎ゆきお


 昔はああだった、こうだった。若い頃はこんな凄いことをしていたなどと話し出す年配者や先輩がいる。もう現役引退した人ならいいのだが、現役でそれなりの地位のある人が言うと、少し気になる。聞いてもいないのに、昔の話題を始め、結局は自慢話になっていく。そのエピソードが必要ならいいのだが、オマケの話なのだ。時代が違うので、参考になりにくい。もしそれを今に当てはめると論理エラーを起こしそうになる。だから、下手に聞いても、仕方がないのだろう。
 それよりも、昔ほどではなくなっているとか、今はあまりそんな元気はないとか、活躍していない人が言うと、逆に哀れを誘う。つまり、この人は昔は凄かったのだろうが、今は大したことがない。これが哀れと結びついてしまうのだ。その活躍話を聞いても相手を見直すとは限らない。それは今の話ではないためだろう。ただ、何等かの戦略でハッタリをかます場合は別だが。これは今も元気なのだ。と言うより、効果として使っている。
 ただ聞いている若い人は、その話し手ほどの活躍はしていない場合、多少は羨ましく思うかもしれない。尊敬するかもしれない。実はそんな凄い人だったのかと。だが、それを分からせるため話したわけではないだろうが、それが過去の栄光で、今は大したことはなければ、ただ単に落ちて行った人のように見える。色々な活躍があった結果、今はこの程度の地位しかないのかと。これが、大活躍の成果として、大人物になっていれば別だ。まだ伸び代があったりして。ただそれも年を取り過ぎると、伸びるどころか縮んでいくだろうが。
「過去の栄光ですか。ありませんなあ。これといった凄い話もありませんし、今後もないでしょう」
「いや、あなたは隠しておられる。他の方面での隠れたる名士だったりとかも」
「ああ、そういうのも夢見たことがありました。メインはだめでも、ピンポイントの強さを発揮して、この箇所だけは天下一品だとかね。しかし、そんな特技も専門家性も育ちませんでしたよ」
「そうですか」
「人の自慢話ばかり聞く側で、参考の連続、立身出世や、武勇伝。とんでもない事件に巻き込まれて奇跡のように難を逃れたとかね。私なら、その難で死んでしまうでしょうから、後で語れない」
「しかし、何かあるでしょ」
「去年でしたか、大発見をしました」
「ほら、あるじゃないですか。どの方面ですか」
「四つ葉のクローバーです」
「はあ、何か若葉とか、車に貼るシールですか」
「野に咲くクローバーです。植物公園で見付けました。放置された場所で、元々が田圃だったんでしょうね。そのまんま放置したような場所です。そこにクローバーがまだ残っていたんです。そして」
「クローバーの発見がそんなに」
「だから、四つ葉ですよ」
「ああ、クローバーは三つ葉でしたねえ」
「そうです。たまにあるんです、四つ葉のクローバーが、それを子供の頃から探していたのですが、一度も見付けたことがありません。それに近所の田圃がどんどん消えていって、もうクローバーなんて何処にもないですから、さらにないとされている四つ葉なんて、もう無理です。ところが、去年見付けたのですよ」
「そうでしたか」
「その程度です。大した自慢にもならないし、珍しい話でもないし、世の中に何も影響を与えない。四つ葉のクローバーを何百葉と標本にして残していれば別ですがね」
「あなた、それはカムフラージュです」
「え」
「本当のことを隠しておられる」
「はいはい、本当は凄い人だった……というのはまあ、憧れで、夢でしたが、本当に何もないのですよ」
「そうですか」
「今回は何のセールスでしたか」
「いや、もういいです」
 どうやら回春セールスのようだったが、この客はもう枯れ草なので買わないだろうと思い、男は引き上げた。
 
   了


 


2015年5月6日

小説 川崎サイト