小説 川崎サイト

 

死後の世界

川崎ゆきお


 日本には神々が多いが、仏の数も多い。有名どころの神々はそれほど多くはないが、名のある仏の数は半端な数ではない。それほど多い。これは名のある神々より多いかもしれない。何故なら、人は死ねば仏になるという慣わしがある。刑事ドラマでも被害者をホトケと言っている。仏さんの身元は割れたのかね。などだ。そのため、膨大な数の死者が、仏として存在することになる。当然名がある。しかし、そこは曖昧で、戒名が仏像になるような仏様の名ではない。坊さんの名だ。信者名、法名。洗礼名に近いかもしれない。坊さんは仏様ではないが、死ねば仏になったり星になったりする。
 ある土俗的な民族では蟻になるという。これは大地に戻るようなものだ。死者が全員蟻になれば、迂闊に蟻を踏めないだろうし、殺せない。だから大地に戻るという意味だろうか。
 釈迦という人は、人だが、仏像になっている。弘法大師もそれに近い。だから、死後法名を貰っても、所謂仏像になるような仏になれるわけではない。
 神道では神主や巫女が神になることがあるようだ。神様との繋ぎ役が、神そのものになってしまうようなものだ。
 死んであの世にしっかりと渡れたことを、成仏するという。刑事ドラマで、無惨に果て、犯人が見付からないと、これじゃ仏さんも浮かばれないとか成仏できまいとか言う。
 成仏とは字面通り、仏になると言うことなのだから、あっちへ行けば仏にやはりなるのだろう。ただ、あちらの話なので、こちらとはルールが違う。また、現世でもルールが違うようだ。宗派にもよる。
 それらは死者をどうするか、どう扱うかという問題らしい。だから世界中で、創意工夫されている。
「あっちへ行ったとき、いつも思うんだが、先に死んだ人と会えるとか言うじゃないか。その人がヨレヨレの老人で、ボケてしまったまま死んだ場合、ぼけ老人と出会うのだろうかねえ。双方ともボケボケだとどうなるんだろ」
「はあ」
「先に亡くなった両親や親戚が迎えに来てくれていると言うけど、年齢はどうなんだろう。自分中心での年齢かな。その方が分かりやすいけど、私も寝たきりで死んだ場合、歩けるのかねえ」
「だから、それはイメージで、そう見えるだけですよ」
「ほう、どんなトリックが」
「先ずは肉体がありません。だから、形がないのです」
「あんた、そんなこと、どうして分かる。宗教の人かね」
「こちらで思っているような肉体を通しての世界じゃないと思いますよ」
「じゃ、姿がない」
「目も肉体でしょ」
「ああ、眼球ねえ」
「それがない」
「おお。じゃ地獄に落ちて、針の山を歩いても、痛くない」
「さあ、そこなんですよ。脳も肉体でしょ。それがないわけですから、針の山という絵を描く機能が果たしてあるかどうかです」
「それは魂でしょ。やっぱり」
「それなんですがね。それは古代から言われていることですねえ」
「魂の正体は何でしょうか」
「それが分からないから、色々なものに当てはめているのでしょうねえ」
「あんたは何だと思いますかな」
「それは、根源的なものでしょ。人だけじゃなく、動物だけじゃなく、無機質も含めて」
「ほう」
「宇宙って、スカスカでしょ」
「え」
「夜空を見れば分かるでしょ」
「はあ」
「あれを一つの生命体のように考えれば、星の周りを回る星とかは、まるで、原子や電子、素粒子の動きと似ていたりしませんか。そうなると、それと同じものが、小さなチリの中にもあるとすれば」
「よく分からない喩えですが」
「肉体も、凄い倍率の顕微鏡で覗けば、スカスカで、その中を何かがくるくる回っていたり、振動しているのが見えるらしいですよ」
「じゃ、魂も」
「普通にネットで無線なんて使ってますねえ。あれも電気の波でしょ。だから電波です。それに人がぶつかったりしないでしょ」
「もっと分かりやすく話して下さい」
「だから、死ねば仏になる。星になる。それでいいんです」
「それが最新の科学ですか」
「いや、太古から分かっているんじゃないですかね。あとは言い方の違いですよ」
「ヨレヨレで死んだとき、あの世で歩けるかどうかが心配で。針の山どころか、その山にさえ登れなかったりとか」
「あなた、地獄へ行くと決めているのですか」
「悪いことを沢山しましたので」
「死ねば仏になります。ホトケとは宇宙の根本の一部になると言うことです。だから仏さんを針の山には登らせないでしょ」
「ああ、安心しました」
「お大事に」
 
   了




2015年5月7日

小説 川崎サイト