小説 川崎サイト

 

犬なし散歩

川崎ゆきお


 友田は最近寝過ごさなくなった。寝坊だ。この時間帯に起きたいと思っている時間がある。目覚ましはかけていないので、ジャスト何時何分ではなく、時間帯だ。その誤差は十分から十五分以内だろうか。寛容範囲がある。それを越えると、遅く起きてきたと感じてしまう。もう勤めていないので、遅刻はない。しかし、日課がある。朝から散歩に出掛ける。これは犬がいた頃からの癖で、今はもういないが、朝、外に出て歩かないと一日が始まらないような癖が付いている。習慣だろう。これは変えてもいいのだが、犬への供養だ。しかし、もう最近は犬のことなど忘れて、本人自身の散歩になっているが、電柱に小便をかけまわっているわけではない。
 冬場遅れがちだった朝の目覚めが、最近は早い目に切り替わっている。これは季節のせいか、太陽のせいかは分からない。逆に早い目に起きてしまうようになる。冬場はもう少し寝ていたいのに、もう起きる時間になっている。春になると、早く起きてしまうので、もう少し寝ようと頑張る。これは冬場ほどの気持ちよさはない。もう起きてもいいと思っているからだ。眠気が少ないのだ。そして、頑張ってもう一眠り、目が覚めると五分も経っていなかったりする。
 早く起きたのだから、そのままスケジュール通り散歩に出ればいいのだが、時間帯が気に入らない。その散歩コースを歩いているのは友田だけではなく、複数の人が前後している、またすれ違っている。その順番がある訳ではないが、ほぼ決まっているのだ。そしてその間隔も。当然寛容範囲があり、数分、数秒のずれはある。
 友田が散歩に出る時間は決まっている。そのため遅い目に起きてしまうと、準備が忙しい。ただ、寛容範囲内なので、それで遅れることはない。ここで遅れるとすれば、本当の寝坊をしたときだ。
 このコースを毎日歩いている常連は犬の散歩者が殆どだ。健康のためやリハビリで歩いている人は寒くなりすぎると来なくなるし、暑すぎても来なくなる。雨の日でも。しかし犬の散歩者は無遅刻無欠席に近い。年中無休なのだ。
 ただ、飼い主も寝坊する。犬が催促して泣き出して、やっと起きてきたりする。そう言うときの犬は勢いがいい。早い。出遅れたので、急いでコースを回るようなものだ。せかせかし、首輪で喉や首が痛いだろうに、飼い主をぐんぐん引っ張っていく。年老いた犬でも、後ろから付いてくるときも、結構早かったりする。出遅れたことを知っているからだ。それよりも、早く用を足したいのだろう。
 そういう犬と犬の間を友田は歩いている。前の犬、後ろの犬はよく知っている。友田はもう犬を連れていないが、このポジションが落ち着くのだ。だから決まった時間に起きたい。春になると目覚めが早いのなら、夏になると、もっと早くなり、朝の散歩まで時間が余ってしまいそうになる。去年はどうだったのかと思い出すが、印象がない。まちまちだったような気がする。季節にかかわらず、早い目に起きてしまったり、遅い目になったりとか。これは体調にもよるのだろう。
 昨日と同じ散歩コースなのだが、友田が犬と共に加わったのは十年少し前からだ。その頃よく見かけた犬も、当然今はいない。だから、飼い主も見掛けなくなった。
 しかし、犬がいなくなってから一年ほどは、友田は犬なしで、まだそこを歩いている。このまま続けるかどうかは分からない。
 
   了



2015年5月10日

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