小説 川崎サイト

 

観光ずれ

川崎ゆきお


「連休、何処か行かれましたか」
「いや、ずっと連休なので」
「ああ、そうでしたねえ。休みの日なんて珍しくないわけですね」
「そうです」
「でも行楽のシーズンなので、何処か行ってみたいと思いませんか。行きやすいですよ。この季節、観光客も多いし、寂しくないですよ」
「ああ、以前はよく行ってましたがねえ。何処へ行っても似たようなものですしね。それに大概のところへは行きましたよ。当然行ったことがない場所もありますが、まあ、大した違いはない。横並びで並んでいるようなものです。それなりに特徴はありますが、初めて見たものじゃないし、似たようなもの、多く見てますからねえ。今更感動もないですよ」
「何年か前とは、また違っていますよ」
「やたらと小綺麗になっているでしょ。あれが気に入らない」
「でもいつもと違う場所へ行ってみたいという気はあるでしょ」
「ありますがね。しかしもう見るべきものは見た感じです。最初の頃の新鮮さや驚きがない。まあ、私が知らないだけで、良い場所がまだまだあるんだと思いますが、これ見よがしにあるようなものは引きますねえ」
「その方が見やすいのではありませんか」
「しかし、最初から答えを教えて貰っているようなものでしょ。こういう風に見なさいと、ここがポイントだとね。しかしそれじゃ発見の楽しさがない。だから、新鮮さがないし、驚きも少ない。それよりも観光地へ行くまでの脇にあるような普通の物を見ているときのほうが楽しかったりしますなあ。まあ、その町や通りではお見せするようなものじゃないかもしれませんがね。だからそのタイプのものなら、近所にもある。探せばね。見えていても実は見えていない。見所は自分で発見しないとだめなんですよ。どういう事情で、こういう形になっているのか、こんな物がなぜここにあるのかとね。それを最初から教えて貰うと、先に解答があるため、だめなんだ。謎が解け出したときの驚きがない。その正体を徐々に気付き出す。これですよ。ヒントを自分で見付けないとね」
「はあ、難しい話を」
「いや、お金がないので、旅費がないことが大きいですなあ。それに健康状態もよくない。だから、遠出する気が起こらない。それらを押してまで出掛けてみようと思うようなものもない」
「年を取ると出不精になるのですね」
「コストパフォーマンスの問題ですよ。近所でも間に合うようなことを、遠くまで行って無駄金を落とす必要はない。そんな罠にかかりたくないですからなあ」
「それはちょっと」
「ああ、ひねくれた考えですがね。旅立ったときと、旅から帰ってきたとき、大きな変化なりがないと、やはりだめでしょ。何のために見に行ったのか。見聞を広げたり、世の中の何かを掴むためでしょ。用事で出掛けるのなら別ですがね。ああ楽しかっただけじゃだめでしょ」
「何か特別なことをしに行かれるのですか」
「私の住んでいる土地と人、そことは違う土地、どう違うのか、そこでの暮らしぶり、それがどう違うのか。この違いを演算するのですよ。これは風土です。ところが今はその風土性が低くなって、何処も似たような町並みや家並みになっている。これじゃわざわざ出掛けても、近所との違いが曖昧だ。だから、その土地のことが、逆に分かりにくくなっているのですよ。例えば、ある地方ではこの寺院の勢力が強いとかね、この神社系が多いとかね。それはどうしてそうなったのかを調べると、歴史的な色々なものとぶつかる。ただ、昔のことじゃなくても、住んでいる人達の気風か何かで出てくる。それは観光地じゃなく、そこへ行くまでの道端にあったりするんだ。スポットを見てもだめなんだ。地形から読まないとね」
「はあ」
「まあ、私はその方面の専門家じゃないし、研究家じゃない。ただ、そういうものを見出すことにより、自分の生活とは何か、こちらでの暮らしぶりを内省するような面もある。ところが、先ほども言ったように、似たようなものになってしまった。これじゃダイナミックスさがない。行事などではそれが残っていたするので、見たいとは思うが、こちらは分かりにくい。素人では無理だ。私でも分かるのは、屋根瓦や門構えが、うちの近在とは違う程度かな。石垣の組み方や、土手の高さや幅とかね。家は古い家に限る。今はどの土地でも似たような家になっておる」
「そういう理由で、出掛けられないのですか」
「海外でもいいが、先立つものがないし、差がありすぎると、逆に分かりにくい」
「旅から得るものが必要だと言うことですね」
「違う物を見に行くいうのはそう言うことだ」
「はい、長い説明有り難うございました」
「ジズニイランドに行ってみたいがね」
「ディスニーランドですね」
「訂正するな!」
「あ、はい」
 
   了



 


2015年5月12日

小説 川崎サイト