小説 川崎サイト

 

呪詛

川崎ゆきお


 人の怨みは怖いが、怨み殺されることはない。また怨みの念で何かが起こることもない。何故なら、かなり怨まれていた人が長生きし、天寿を全うすることも多い。また、最近、方々から恨みを買っている人も、それで健康を害したり、高転びに転ぶわけでもない。ただ、死んで恨みを晴らすという死霊も、恨みをのんで死んだ人が膨大でも、その死霊達は何をしていたのかと思うほど、効果はない。
 その意味で、死にはしないが、恨みを持ったまま、生きている状態での生霊の方が効果があるかもしれない。この生霊は、夜な夜な肉体から離れて悪人に災いをもたらせるのだが、これも大した効果がないようだ。むしろ、霊の形を取るよりも、具体的な復讐行動を取った方が効果がある。
 悪人の方は、自身怨まれているということを気にしていなければ、死霊も生霊も、何ともならない。また、実際には何とかなる問題ではなく、それらは自爆に近い。つまり、悪人自身が怨まれていると思い、勝手に自爆するのだ。悪人が死霊生霊を自生させると言ってもいい。
 そのため、敵に念を送っても、そんなものは効果はない。そうではなく、念を送っているということを知らせる方がいい。念の籠もった式神、ハンカチでもいい。それを相手のポケットにこっそり入れたり、相手の鞄の中に入れたり、そこまで近付けないのなら、悪人宅のポストに入れたりする。ただ、それがただのハンカチなら、何の意味もない。呪詛用の書式が欲しい。その書式で相手は気付くだろう。誰かが私を呪っていると。ただ、この場合も、そんなことを気にしていない人なら、効果はない。
 そこで登場するのが術者だ。因果関係のひな形を少し見せてやる。これは呪文などいらない。少しだけ具体的効果を見せてやればいい。術者が術を磨くのは、ここだ。恨みの念が現実に発揮しているというようなことを示すようなことなら何でもいい。小さなことでも。
 例えば硝子瓶が割れているとか、妙な虫が入っているとか。ただ、恨みとの因果関係が分かるように持っていくのが難しい。ああ、硝子が割れた、ああ、虫がいる程度で終わるためだ。
 また、敵の衣服に、常に何かが付着しているとかだ。怨と書いた紙を背中に貼るわけではない。糸くずでもいい。しかしある色の糸で、常にその糸がくっつくとか。
 ここまでやると、もう昔の探偵小説の小物を使った物理トリックに近い。要は相手に異変を知らせる。妙なことが最近起こる。それらは些細なことで、服に糸くずが付いていう程度。また入れた覚えのない白紙の書類が鞄の中によく入っているとか。怨まれていることを知らせるトリックは難しいが、小さな異変が起こっている程度ならできるだろう。これは小さな伏線なのだ。生霊に呪われている、とまで持って行くには、相当時間と知恵がいる。
 日本の怪談は亡霊が直接殺しに来ない。その殆どは自爆だ。幽霊と間違えて妻を斬り捨てるとか、錯乱しているとき、尖ったものに突き刺さるとか、誤って崖から落ちるとかだ。これも呪われている、祟られているという自覚のない相手には通じない。
 術者が苦労するのは、そう思わせるようなトリックをどう仕掛けるかだ。
 呪詛を受けていることを知った敵でも、そんなものは効果がないとか、逆恨みと感じていれば、殆ど効果はない。だから、呪詛されていることで、ショックを受ける様な敵は、大したことはなく、むしろ恨みを恐れて、あまりあくどいことはしない。
 言霊を飛ばし、相手にダメージを与える手も、自爆を誘う方法だろう。こちらの方が効果が高いかもしれない。ただ、言霊を飛ばした相手は、今度は言霊返しを受ける。呪詛返しと同じだ。いずれも、そういうことに頓着していない相手には効かないので、術者が苦労するのは、気付かせるためのトリックだ。
 恨みでも、言霊でも、それらを受けてしまったと感じた人は、そのよごれを落とすため、清めに出る。これも日本人が好きなことで、ミソギだ。まあ、寺社参りでもして、祓ったことにすればいい。これも一種の自分自身や世間にかけるトリックなのだが。
 しかし、実際には何も起こっていない。これを起こっているかのように見せるのが術者の腕だ。

   了






2015年5月31日

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