小説 川崎サイト

 

本庄坂

川崎ゆきお


 土地の人はそこを本庄坂と呼んでいる。階段になっているほどの急勾配。どんな自転車でも途中でバテて、押していくだろう。登り切るには競輪やスケート選手並みの太ももがいるが、試そうにも階段では仕方がない。急勾配の岡のためで、ここが特にきつい。幹線道路はこの場所を避けて曲がり込んでいる。岡の上は住宅地。
 階段の右に高い石垣がある。この屋敷を建てたのは本庄さんで、元軍人。それも位の高い。その人の私邸だ。今はその敷地跡に二十戸ほどの住宅が建っている。本庄屋敷跡はそのため、もうない。
 階段には怪談が付きもので、この本庄坂にも言い伝えがある。坂を見れば怪談を作りたくなるのだろうか。ただ、本庄屋敷が出来た時代は、寂しい自然林だった。当然そんな階段はない。本庄屋敷ができてから本庄坂と呼ばれるようになった。
 地図には本庄坂の名はない。今は岡の上の住宅に住む人達が利用している。急な斜面は岡のこちら側だけで、あちら側はなだらかだ。その意味で、本庄坂は裏口に当たる。しかし市街地に出るには本所坂を下りた方が早い。当然市街地のある駅から帰るときも。ただ、徒歩に限られる。
 雨のシトシト降る夜、この階段を通ると出る。お決まりの話だが、何が出るのかは様々だ。だから、何も出ないに等しい。
 本庄屋敷は取り壊されたのだが、立派な洋館だった。古い物ではないため、反対運動はなかった。本庄さんが軍人だったこととも関係している。
 敷地は広く、その洋館跡に建っている家が二軒ある。この二軒とも新築後数ヶ月で売り払っている。今は不動産屋の貸家。その借家人も居着かない。これはれっきとした怪談だ。正真正銘の。
 しかし、不動産屋の親父に聞いても、出たということはないようだ。悪い評判を気にして黙っているいるのではなく、幽霊らしきものは出ないらしい。
 その母屋は岡の端にある。窓からすぐに下界を見下ろせるように。下から見ると、城の櫓に近い。洋館は煉瓦造りだった。
 雨は関係はないが、坂を通るとき、やはり妙な気配や音のようなものがするようだ。しかし具体的なものではない。これと同じものが洋館跡に建った二軒の家からもしていたのだろう。
 ある怪談好きな男が、この本庄屋敷について、かなり聞き込んでいる。本庄屋敷時代に出入りしていた人達からの証言だ。もうご本人はなくなれられているが、その子供や孫はまだ生きている。
 昔呉服屋をやっていた人の孫が、本所屋敷の地下室について、お爺さんから聞いていた。
 当然、そんな地下室は取り壊したときに、埋めている。しかし、秘密の深淵は、このあたりにありそうだ。
 地下室は物置兼ワイン置き場だったらしい。当然綺麗に片付け、埋めている。特に異変はなかった。
 問題はこの屋敷を建てた本庄さんだ。この人は戦死している。亡骸は発見されていない。そのため遺骨はない。
 怪談の発生時期が、戦後だ。
 さて、彼の推理だが、坂の階段沿いの石垣は地下室に近いのではないかと。
 当然想像力は下へ行く。本庄屋敷の地下室の下に、もう一階あったのではないかと。
 そんな目で見ると、階段の登り口が地下二階に相当する。このあたりが一番いやな雰囲気がする場所で、それとも符合する。
 実は地下二階があり、その部屋は今も残っていると考えたとしよう。取り壊した土建屋は知らなかったのだ。まだ下があることを。当然地下一階から二階への階段などなく、隠し階段か、または床に穴が空いているだけで、垂直の階段で降りるタイプだったのかもしれない。降り口がないし、さらに地階があることなど想像できないので、そのまま埋めたのだろう。
 つまり、今でも、何に使われていたのか分からない地下二階がそのまま残っている。その空洞は蛇室になっているかもしれない。また、モグラやイタチが入り込んで、蛇と喧嘩をしているかもしれない。妙な気配、音はそれではないかと。怪談愛好家はそこまで推測した。
 二軒の貸家は出入りが激しく、居着きにくかったのだが、年々その間隔が長くなっているようで、本庄坂の薄気味悪さも、年々減りつつある。
 地下二階の何かのエネルギーが徐々に衰えてきているのだろうか。
 
   了

 






2015年6月11日

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