小説 川崎サイト

 

子安地蔵

川崎ゆきお


「最近はどうですか。まだ散歩を続けていますか」
「いや、少し遠い目の散歩に出ています。遠くなりすぎるので、自転車で行くことが多くなりましたよ」
「自転車より、健康のためには歩いた方がいいですよ、徒歩の方が。まあ小走りもいいかも。歩くスピードと変わらない中途半端な走り方ですが、歩くと走るとでは違います。足の使い方がね。まあ、走るのが遅い人だと思われるのがいやで、私はやっていませんが、その代わり早歩きはよくやります。これは競歩ですねえ。だから、自転車はあまり運動にはならない。余程長い時間乗らないとね。坂道などがあると効果的です。走るより心臓の負担が大きい。そういう走り方、されていますか」
「していません」
「それでは距離が欲しいと」
「そうです。歩いて行くには遠いので」
「それは運動じゃなく」
「そうです」
「ほう」
「最初の頃は、運動で歩いていましたが、もう飽きてきましてねえ。同じ道をただただ歩いているだけでは飽きますよ」
「そんなことはないですよ。別のことを考えたり、物思いに耽りながら歩いていますから、あまり風景に変化があると、逆に気が散ります」
「哲学の道ですね」
「そうじゃないけど、考え事には散歩がいいのです。それに健康維持の目的も果たせますし」
「そうなんですか」
「それで、あなた、自転車でそんな遠くまで何をしに行くのですか。色々な道を見たいとか?」
「それもありましたが、風景はまあ、何度か通ると見飽きるので、違うものを見ています。いや、探しています」
「何を」
「子安さんです」
「はあ」
「子安地蔵です」
「何ですかそれは、お地蔵さんですか」
「石饅頭に前掛けを付けた程度ですか、目鼻どころか顔の輪郭さえないのも多いです。四角い石を立てただけとかもあります」
「何ですか、そのコヤス地蔵」
「安産や子供を守るお地蔵様です」
「あなた、子供を産むの」
「産まない」
「じゃ、用はないでしょ。それにそんな地蔵、何処にあります」
「道端に」
「ほう」
「それを発見してから、その近辺をウロウロしていますと、あるわあるわ、かなりあるのです」
「何処に」
「一番分かりやすいのは、地蔵盆なんかの祠があるでしょ。あの横とかに集められていたりします。結構集団でいますよ」
「安産祈願なら有名な寺があるでしょ。私の嫁や孫なんかもお参りに行ってましたよ。ここはねえ、子授け観音もいるし、子宝弁天さんもいるし、安産犬のお守りもあるし、腹帯やさらしなんかも、参道で売ってますよ。ここですよ、安産なら。裏には水子観音があって、至れり尽くせりです」
「そうなんですが、私が出産するのじゃないから」
「じゃ、ご家族の誰かが」
「いえ、誰も。それより子安地蔵を見付けるのが、最近の趣味なんです」
「それは変わった。そんなこと、誰もしていないでしょ。それに子安地蔵を探すのが流行なんですか」
「いいえ」
「ほう。じゃ、どうして」
「珍しいからです」
「うーん、私にはその趣味が分からない。マニアックすぎはしませんか」
「これが私が発見した子安地蔵です」
 と、スマートフォンを取り出し、アルバムを繰りだした。
「これは、のっぺらぼうじゃないですか」
「前掛けがあればいいのです」
「これは」
「これは人の顔をしているでしょ。赤ちゃんのように頭が大きく、目鼻がかなり下に付いています。これは分かりやすいです」
「これも子安地蔵なんですか」
「そうだと思います」
「いや、これはあなた、死んだ子供の供養用のお地蔵さんじゃないですか」
「そうですか」
「この写真もおかしいですよ」
「え」
「これはキティーちゃんでしょ」
「え」
「猫ですよ」
「ああ、顔が無地なので、誰かが落書きしたのかもしれません。それが古くなって」
「あなた、子安さんとは別のものも入っていますよ。この写真なんかも」
「ああ、それは可愛いでしょ」
「水子でしょ」
「ああ」
「それにあなた、こんなの写真で写したりすると、悪いものが付いてきますよ」
「え」
「帰りに自転車、重くないですか」
「ペダルが重くなることがあります」
「米でも後ろに乗せているような感じでしょ」
「ああ」
「悪いものが付いてきているのですよ。やめた方がいい。健康に悪い」
「しかし、体調はいいです。歩きの散歩をしていた頃よりも」
「こういうものの中に、訳の分からないものが入っているものです。危ないからやめた方がいいでしょ」
「しかし、もっと山際の方へ行くと、まだ残っているのです。遠いですが」
「あなた、それ、子安というか野仏に取り憑かれたのですよ」
「そうなんですか」
「だって、子安地蔵を探しにウロウロしている人って、日本で、今何人います」
「はい」
「いないでしょ」
「います」
「えっ」
「子安地蔵や観音巡りもありますし。子安のお寺もありますよ」
「ほう」
「だから、安産だけじゃなく、こういう小さな石のようなのが好きな人もいるんです。私一人じゃない」
「しかし、私の友達の中にもいないし、その友達の友達の中にもいないと思いますよ。安産祈願なら、お寺や神社があるし、それに、寺でも神社でもお参りしたときに、安産祈願すればいいのですよ。別に安産専門寺社じゃなくても。こんな石ころにお願いする時代じゃない」
「ああ、しかし、これ楽しめますよ。私にとっては宝捜しなんです。やはり目的がないと、ただの散歩なんて、つまらんですからねえ」
「悪いことは言わない。こういうものに迂闊に接したり触れると、ろくなことはない」
「はい、肝に銘じます」
「帰りの自転車、米や漬け物石を後ろに積んでいるような重さになったときは中止することだ」
「はい」
 しかし、そういう負荷がかかると結構いい運動になるようだ。
 
   了






2015年6月27日

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