小説 川崎サイト

 

写真の達人

川崎ゆきお


 写真の達人がいると聞いて、高橋は合いに行った。いつもなら一人で見知らぬ町で怪しげなものを探すのが目的だが、今回は人を訪ねている。これは、この達人が怪しいからでもあるが、探索のヒントを得られるかもしれないと、真面目な考えもある。しかし散歩の達人になることが、真面目なことなのかと考えると、これこそ怪しい。
 写真の達人は一人暮しの老人で、普通の市営住宅に住んでいた。
「写真の極意ですかな」
「スナップの達人だと聞きました」
「え、私はスナップのつもりで写してはいませんが」
「ああ、そうですか」
「そんな軽い目の写真家だと思われているのですなあ。まあよろしい。それに写真で食っているわけではないので、問題はなかろう」
「スナップというか、散歩写真家と聞きましたが」
「ああ、皆さん好きなことを仰る。しかし、そんなに評判になるような仕事はしておりませんが」
「いえ、若い頃、コンテストの常連だったとか」
「ああ、写真雑誌が結構ありましてねえ。ほぼ毎月金賞だの、銅賞だの、佳作だのと、色々取りましたなあ。連載のようなものですよ。複数の雑誌やコンクールでね」
「はい、その頃のことを覚えてられる人達が、まだいまして、写真の達人だと噂されるのも、そのあたりからだと」
「あ、そう」
「散歩中に写す写真の場合、被写体が問題ですねえ。僕なら怪しいものを探し出そうと懸命ですが」
「被写体は問題じゃない。そんなもの誰でも目に触れられるものだし、誰でも写せるものだからね」
「問題じゃないと」
「被写体ではなく、被写体をどう見るかでしょうなあ」
「はあ」
「だから被写体として見ない」
「ほう」
「分かります?」
「分かりません」
「出方を見るのです」
「余計に分かりません。出方って何ですか」
「乗り方です」
「え、何の」
「タッチの」
「はあ」
「私が写していた時代はモノクロでしてね。この場合、白と黒の間。灰色の乗り具合が大事なんです」
「グラディーションですか」
「それもありますが、質感とかも」
「木の質感とか、土の質感とか」
「いやいや、それでは木を写していることになる。それじゃ、写真になってしまう。写生だね。図鑑だよ」
「あ、はい」
「分かります?」
「分かりません」
「木を写しても、木を写しているわけじゃない」
「は、すると何を」
「それらを組み合わせた絵ですよ」
「ああ、何とか分かります。理解が溶けないうちに、続けて下さい」
「自然を写しても、それは自然ではない」
「少し理解がしぼみましたが」
「別のものを現出させる」
「飛びすぎました」
「現実を見て、別のものを感じたり、見出したりするでしょ」
「ああ、理解が戻りました。それです。僕が怪しいものを探しているときとそっくりです」
「目の前のものなど見ていない」
「先生」
「何かね」
「それこそ幻想写真の世界ですね」
「さあ、それはどうだか、実際に上がってきた写真は普通の風景ですよ」
「でも、それが隠しネタとして入っている」
「ははは」
「そうでしょ、それが入っているか入っていないかで、ぜんぜん違います」
「しかし、私の写しているのはありふれた風景ですよ」
「いや、そこに潜んでいる何かを、見る人は感じているのです。しかし、具体的ではなく、何かおかしいなあと思いながら見ているのです」
「まあ、そう先走らないで」
「はい」
「全体で写すことです」
「はあ」
「個別のものにこだわらないでね」
「また、意味が飛びました」
「難しい話じゃない。写真家になれるかどうかは、その全体があるかどうかじゃ」
「じゃ、全体って何ですか」
「さあ、それは恥ずかしくて言えぬ」
「ないのでは」
「それは反応のようなものかもしれんなあ」
「感性ですね」
「その感性を発する源が、全体だよ」
「人間が大事だと」
「そこから発しておる」
「やはり、難しいですよ、先生」
「君が難しく考えているから、私も難しそうな言い回しになってしまう。そう言うことじゃよ」
「しかし、一つだけ分かりました」
「ほう」
「散歩の極意です」
「うむ、如何に」
「現実なんて見ていないってこと」
「いいねえ」
「今日は有り難うございました」
「理に走るとろくなことはない。せっかく掴んだ極意も逃がしてしまう。忠告じゃ」
「はい、忘れます」
 と言うより、高橋は、殆ど理解出来ず、何も覚えていないだろう。ただ、曖昧な幻想を霞のように掴んだようだ。
 写真の達人は最後に言い忘れたことがある。
「私は写真の極意を知ってから、その後今日まで一度もコンテストで入選していない」
 
   了



 


2015年7月15日

小説 川崎サイト