小説 川崎サイト

 

気にならない人


「あの人だろう」
 岩田は見覚えのある老人と自転車ですれ違った。互いに自転車だ。駅前の細い通路で、車は入ってこれないが、それほどの距離はない。
 互いに視線を合わせることはなかったが、気付いているはずだ。ただし遠くからでも見えるだけの視力が必要だが。
 その老人とは毎日岩田は合っている。顔を見かける程度なので、それ以上の関係はない。そこは年寄りが多い喫茶店で、特に朝は複数の団体さんで混んでいたりする。岩田はその仲間ではない。ポツンと座っている独り客だ。その老人もそのタイプ。
 日によりテーブルは違うが、非常に近い距離になることがある。岩田は本を読んで過ごすが、その老人はぼんやりと店内を見ている。お気に入りは隅っこの席で、店内を全て見渡せる。岩田も隅に座るのだが、壁が違う。丁度その老人と向かい合う感じだが、遠いし、視線は本にあるので、滅多に顔を上げない。たまに上げると、こちらを見ている。しかしすぐに目を逸らし、別の人を見たり、または虚空を見ている。ただ、何処かを見ているのは確かだが、本当は見ていなかったりするはずだ。だから、岩田は見られているとは思わない。顔がこちらを向いている程度だと。
 それで、席が近いとき、その老人のテーブルを見た。すると、本がある。しかし、あまり読んでいるところを見たことがない。その電波が通じたのか、その老人は本を開けた。何の本なのかと興味がいったが、タイトルは見えない。しかし、タイトルが並んでいる。タイトル並みの大きな活字の本なのだ。サイコロほどの大きさがあるだろうか。お経の本かもしれない。
 そんな活字の大きな本なら、すぐにページをめくるだろうと思うのだが、なかなかめくらない。だから、見ているだけなのか。
 岩田は目を細くして、そのサイコロ大の活字を見ると、漢字かな混じり。だからお経ではない。何かありがたい故事やことわざや金言のようなものだろうかと覗いていたが、視線が伝わったのか、ぱっと閉じてしまった。
 あとは、ドアだ。ドアを開けたときその老人が出るところだった。その老人はすぐに横へ避け、譲ってくれた。このとき初めて会釈らしきものをしたが、これはただの通行人同士でもいくらでもあることだろう。
 さて、自転車でのすれ違いだが、これが最初ではない。三度か四度ほどある。同じ場所ではなく、その老人の家と喫茶店までの途中だろう。
 先ほどすれ違った場所は、かなり喫茶店から遠い。ということは、岩田の近所の人かもしれない。岩田は毎回喫茶店までの道を変えているが、先ほどの場所は、最も走りやすい自転車コースなのだ。このコースに乗ると、必ず先ほどの狭い通路を通過する。そういう風にできている。だから、岩田の住む町内から喫茶店、これは駅の向こう側にあるのだが、この道は自転車では王道のようなものだ。
 岩田は毎朝同じ時間に喫茶店へ行くわけではないが、その老人も時間に決まりはないようだ。
 といって、気になる存在でもない。風景に近い人物のためだろう。
 
   了




 


2015年8月2日

小説 川崎サイト