小説 川崎サイト

 

四重の簾のある部屋


 西日の当たる一間の安アパート。冬は隙間風で寒く、夏は西日をまともに受け、何ともならない。そこで下村は窓の外側に簾を何枚も重ねていた。この窓は硝子窓で六枚ほどのガラスが填め込まれている。このガラス戸が二枚。開け閉めはレール式だが、ゴマが付いているわけではなく、溝を擦りながら開く。雨戸はない。
 アパートの裏側から見ると、他の部屋の窓も同じように簾が垂らされていた。しかし四枚重ねは下村の部屋だけ。外からは似たように見えるが、四枚簾の効果は大きい。そのため、部屋は薄暗い。風が入らないが、日も入らない。どちらが夏場は好ましいのかと熟考した結果、風よりも日除けを選んだ。風のない日も多いし、また西日が熱風のように入ってくるため、逆に温風の送風を受けているようなものになる。また、風が欲しい日でも風がない日も多い。
 冬場は隙間風で寒いので、中綿入りの蒲団のようなカーペットをカーテン代わりに垂らしている。こちらの方が暖かいからだ。いずれにしても部屋は薄暗くなるため、電気は付けっぱなしだ。
 下村は若い頃、ここに引っ越し、そのまま十年、二十年と経過した。今は成功を収め、高級マンション住まいだ。しかし、あの頃が一番よかったように感じている。
 下村は、久しぶりにアパートの旧友に合いに行った。立身出世できないまま終わった書生達だ。
 ボロアパートだが取り壊されないのは、マンションに建て替えても入る人が最近減っているためだ。こういった賃貸住宅が増えすぎたため、空室が多いのだ。その殆どは家主が老後を考えて建てたものなので、規模も小さい。設備もよくない。
 下村の住んでいたアパートは農家の庭で、その敷地を売ると、何が建つのか分からないため、農家の主はそのまま放置している。その農家の主も、子供の頃から庭先にあったアパートだけに、馴染みがあるのだろう。
 下村は、この農家の跡取り息子が小さいとき、よく遊んでやっている。狭い部屋をリングにしてのプロレスごっこや、近所の繁みでの蝉捕りなどだ。
「久しぶりだね下村さん。下界を見に来たのかい」
「いやいや」
「じゃ、失敗したか。没落成金かい」
「いやいや」
「身なりはいいけど、借金だらけじゃないのかい」
「それはない」
「あんたの部屋、まだ空いているんだ。いつでも戻って来られるよ」
「ほんとかい」
「あんたが垂らした四枚ものの簾は流石に取り払ったけどね」
「西日は相変わらずですか」
「厳しいよ。しかし、クーラーを付けたんだ。裏に回れば見えるはずだよ」
「本当にあの部屋、まだ詰まっていないの」
「借り手なんているわけないさ」
「風呂もないしね」
「そうそう。安いだけ」
「借り直そうかなあ」
「やっぱり没落したんだ」
「そうじゃないけど、ここが僕の原点なんだ」
「二十年いたんだよ、あんた。四十過ぎまでここでくすぶっていたんだ。よく成功したよ。何か悪いことしたんだと思うけどね」
「いえいえ」
「池谷さんも、小山田君も、まだいるよ」
「ああ、そうですか」
 下村はその部屋を借り直したかどうかは分からない。
 
   了



2015年8月13日

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