小説 川崎サイト

 

言葉の使い方


 人は何処かと繋がっているのか分からない。本人は分かっているつもりでも、気付かないことがある。これは人と人との結び付き、繋がり、えにし、絆などという場合もあるが、悪いところと繋がっていることもある。繋がっていれば何でもいいというわけではない。人の場合だけではなく、ものや物事もそうだ。そして言葉も。
 この言葉が一番単純に破裂する地雷かもしれない。また直接の引火物。
 言葉は便利なようで不便だ。言葉ほど多くのものに繋がるものはない。むしろ言葉で繋いでいるようなものだ。言葉は道具でもあるのだが、使い方が問題だ。そのあたりは誰でも心がけていることで、別に習わなくても、身に付けるものだ。何処かで一度ひどい目に遭い、それ以降、言葉を選んでいるだけかもしれないが、発するだけではなく、受ける側でもあるので、耳や目から入ってくる言葉で反応してしまう。また、そういう風になっている。
 当然言葉には実体はなく、指し続けているだけだ。しかし、実体はなくても、その言葉自身が美しかったり、醜かったりもする。実際には何も起こっていないのだが、不吉なものを見たかのように、または嬉しい気分になれたりもする。
 車や自転車や歩行者が、ぶつからないのは、それなりに除け合っているためだ。言葉を使うときにも、それと似たようなことをしている。進むのが目的で、ぶつかるのが目的ではないためだ。ただし当たり屋なら別だ。
 では、人に優しい言葉ばかりがいいのかというと、それでは不便だ。相手を傷つけてしまう言葉を発するのは、暗にその要素があるためで、ダメージを与えたいのだろう。これは言葉の問題ではなく、現実の話だろう。言葉の使い方の話ではない。
「言葉ですか」
「非常に繊細で、複雑です」
「そんなもの犬か猫か鴉の鳴き声だと思えばいいんですよ。何か音を立ててる程度でね」
「それは粗っぽい」
「言葉で傷つき、言葉で癒やされるなんて嘘ですよ。傷ついても、欲が叶うのならいいし、癒やされなくても、よい結果になるのなら、そこで別の癒やしを受ければいい。言葉なんて空手形ですよ」
「しかし、心の問題として」
「心なんて、どうとでもなりますよ。それよりも現実が動いた方がいいでしょ」
「現実が動く?」
「待遇がよくなったとかです」
「それは、まあ」
「そうでしょ。口先よりも、具体性ですよ」
「まあ、気持ちの持ち方もありますし」
「気持ちなんていくらでも変わりますよ。状況が変わればね」
「初心に帰れとかは?」
「何ですかそれは」
「そう言われました」
「どんな状況で言われたのかは知りませんが、初心になんて帰ったり戻ったりできるわけがないでしょ。そこにはもう戻れない」
「気持ちの上で」
「初心のときの気持ちって、いいことばかりじゃないでしょ。ややこしいことも思っていたはず。まだ世の中をなめていたとか、甘く考えていた時代でしょ。その逆もありますがね。そこへ戻ってもあまり良いことはないですよ」
「はい、でも態度だけは、そういう風に」
「振る舞うわけですね。芝居ですね」
「初心の頃の初々しさというか真摯さに戻れという意味だと思います」
「そんな良い部分だけを選んで戻れないでしょ」
「はい」
「だから、言葉には無理がある。現実的じゃない」
「しかし、信頼できる人からの忠告なので、それに従います」
「じゃ、うんとサービスして、赤ん坊にまで戻ればいいんですよ」
「そうですねえ、それは楽でいい」
 
   了

 


2015年8月23日

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