小説 川崎サイト

 

化ける


「動物は化けやすい」
「また、狐狸の話ですか」
 妖怪博士はいつものように担当の編集者と雑談している。この編集者は始終来る。それほど仕事があるわけではない。だから、サボりに来ているのだ。
「狐狸に限らず、動物は何を考えているのかが分からない。実際には何も考えておらんのだろう。思惟のようなものではなく、生きるための本能のようなもので迷いなく行動しておるだけ、だから人が考えているようなことは動物は考えておらんのだが、考えておるようにも見える」
「考える犬やネコもいるでしょ」
「おやっ、これはおかしいぞというのはあるだろう。それで躊躇したり、考え込むこともあるはず。例えば飛び越せるかどうかがぎりぎりの溝などがそうじゃ。しかし長くは思案しない。無理だと思えば別の場所から飛び越えたりする。無理はせんと言うことだな。無理であるかどうかが曖昧なまま飛び越えようとするやつは、目測を間違えたのだろう。罠に関しては考えるだろうなあ。不審に思ったりする。これは様子の違いを敏感に嗅ぎ取るのだろうか」
「それで動物が化けやすいという話は」
「だから、動物が何を考えているのかが明らかではないためだ。年老いた猿などは非常に深い思考状態にいるように見える。聞いてみれば、単純なことだったりするがな」
「それと化けるとは関係するのですか」
「それは遠いが、蛇などは何を考えているの、分からん」
「何も考えていないと思いますよ」
「カエルも何を考えているのかが分からん」
「だから、何も考えていないのですよ」
「しかし、人が思うようなことを考えていたとすると、これは何だ」
「何だって、何が何なのです」
「だから、気味が悪いじゃないか」
「そりゃ、そうですが」
「すると、蛇がどんどん違うものになっていく」
「はい」
「犬だからと思って、あまり大したことは考えていないだろうと思っているのだが、本当は凄いことを思っていたり、人間の会話を聞いていて、馬鹿にしたりとかも有り得る」
「猫なら、漱石の吾輩は猫であるの世界ですね」
「人間の真似をした猫、真似をした犬。自分は人間だと思っている動物の話ではない。これは見れば分かる。態度で分かる。だから、分かっている世界じゃ。何を考えているのかがな」
「年老いた猫は尾の先が二股に割れ、猫又になると言いますが、それと関係しますか」
「しない。それは路線が違う」
「じゃ、どの路線ですか」
「鍋島の化け猫の路線に近い。または南総里見八犬伝の犬に近い」
「また、そんな時代劇を」
「怪異と言えば、誰もいないのに、部屋にいる猫が怖がったりする。犬も怯えたり、吠えたりする。何かいるのじゃ」
「それはありますねえ。有名な心霊研究家が猫を連れて幽霊屋敷などを調べたりする話が」
「これは人が感知し得ないものを知る力が動物にはある。実はこれが怖い。そんなものを感知していたのかと思うと、これは人知を越えておる」
「それは考えるというより感じているだけでしょ」
「そうじゃが、そこまで含めて状況を把握しておることになる」
「火事の前に鼠が逃げるとかもありますねえ。まだ火の気もないのに。これは未来予知ですよ」
「まあ、最近ではそんなものを見た人はおらんだろうがな。鼠は隠れておるので、いなくなっても、目立たん」
「しかし、その感知能力は人を超えていますねえ。本当なら。でもそれは考えるというより、やはり感じるだけのことでしょ」
「得体が知れん。だから化けやすい」
「その結論は早いです」
「動物はあちらの世界と繋がっておるとすれば、ややこしいものに化けても当然じゃが、妖怪のような形にはならんと思う」
「博士、もう少し話を纏めてから話して下さい」
「こういうのは直感じゃ。これは動物に近い」
「動物的勘というやつですね」
 編集者はしばらく妖怪博士の顔を見ていると、何かの動物のように見えてきた。
 
   了



2015年9月8日

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