小説 川崎サイト

 

卍堂


 村はずれに卍堂と書かれたお堂がある。村の外れだが街道が近くにあり、この街道は周囲の村々と繋がっている。街道と言うより、村と村を結ぶ幹線のようなものだ。この街道、村内に入ると、農道と変わらなくなるが、村を貫いている。
 この村に用事があって来た人だけではなく、通過するための道だ。そのため、余所者が結構通っている。
 卍堂は村はずれ、村が終わるところの村道脇から小径を経て、山裾のこんもりとした繁みの中にある。非常に人目に触れにくい場所で、村人も、ここまで来る用事は普段ない。その山裾周辺はお寺の地所でもあり、かなり古い墓が残っている。歴代の住職の墓が並んでおり、ここは村の墓と言うより、お寺さん一家の墓なのだ。そのため、坊さんが多い。
 墓地だが村人とはあまり関係がないためか、参る人もいない。
 その卍堂は一見墓場のお堂だと思われがちだが、結構離れている。そこから墓場が見えないほど。
 卍堂は街道から別れた小径の先にあり、そこで行き止まりではなく、また村へ戻る方角に小径が続いている。その小径は山裾に沿ってある。小径沿いには何もない。地面が見えないほど草で覆われていることから、普段は利用されていないのだろう。里近くまで来る小動物が使っているのかもしれないが。
 その小径は農家が見えてきた辺りで山際から村の中心へと向かうが、途中から畦道になり、やがて少し広い村道になる。そして、村と村を結び幹線道の街道と交わる。要するに、この道は裏道で、村から山際経由で卍堂へ行ける。さらに卍堂から街道へ抜けられる。
 卍堂は八畳ほどの板敷きで畳はないが座布団が高く積まれている。一寸した炊事場もあり、横には井戸もある。厠もある。それらはお堂の横や裏にくっつけられている。
 お堂の外側は藁が出ていそうな粗末な粘土壁だが、その内側にもう一つ板壁がある。僅かな隙間だが通路となっている。二重構造なのだ。これは板の間を囲む土間のようなものだろう。
 正面は普通のお堂と変わらない。そしてもう一枚ある板壁ががらりと開く。実は頑丈な板戸なのだ。そのため、結構重い。
 中は先ほど触れたように八畳ほど。祭壇はない。
 この卍堂は、もうそれだけで目的が分かる。今の地図では神社は鳥居のマーク、お寺は卍のマークになっているが、その卍を見れば、お寺と分かるが、そんな地図のマークがなかった時代、卍堂と言えば、交じり堂だった。
 村内だけではなく、村外からも交じりに来た男女がいたようだが、女性はグループで来ることが多い。そして先に到着している。
 この風習は戦の多い時代、特に多く利用されたようだ。
 この卍堂、村の正式な言い方はお籠もり堂で、弔い後の仏事で使われた忌み堂と村史にはある。
 
   了



2015年9月14日

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