小説 川崎サイト

 

夕日の魔女


「お母さん、これ何?」
「あ」
「コスプレやってたの」
 母親は何度か引っ越したのだが、そのとき、段ボールに詰めたまま、一度も開けていなかったようだ。懐かしいものを見てしまい、しばらく遠い目をした。
「お母さん、巫女だったの」
 母親は静かに微笑んだ。
 彼女が高校までいた故郷は温暖な土地で、内海に面し、蜜柑やオリーブの木が多い。海沿いに小さな岬があり、その向こうに小島が山の頂上だけぽつりぽつりと浮かべたように漂っている。
 その岬、魔女の岬と呼ばれていた。昔からあったものなら巫女岬とでも言ったはず。しかし、そんな時代、そこは何もない出っ張った場所にすぎない。岬は二つの大きな岬に囲まれているため、ここには灯台はない。その代わり小さな建物がある。ここに魔女がいると言うことで魔女岬と呼んでいたのだが、極一部の人だ。
 その建物は小屋がけで、蜜柑やオリーブの直販所規模。当然ここは蜜柑畑のため、持ち主がいる。元々は納屋だった建物だ。
 ここの岬の魔女、正確にはイタコのような巫女さんがいる。ただし、若い。まだ少女だ。そのため口寄せは無理。これは亡くなった人を呼び寄せる芸のようなものなので、ある程度の年配者で人生経験の豊かな人でないと演じきれない。呼び寄せるのは年取った人が多いためだ。
 この少女、ある日、雷に打たれたように何かが起こり、それ以後、妙なことを口走るようになった。何かが切れたかショートしたのだろう。ヒステリーや発作のようなものだが、その後遺症が取れない。それで、日常のことができなくなり、学校にも行かなくなり、巫女となった。岬の先端にある納屋を改造してもらい、魔女小屋とした。
 魔女と巫女とでは違うのだが、怪しげな女性のことを魔女で括るのは間違いではないが、巫女にするか魔女にするかで迷ったようだ。
 しかし、やっていることは巫女で、神がかりが起こり、それを伝える。ただし、どの神かが分からない。またイタコのように固有の人が乗り移る芸は出来なかったようだ。
 非常に中途半端な存在だが、これは一人で始めたためだろう。魔女か巫女か比丘尼か、何かよく分からない。自分が知っている範囲内でやっているため、逆に言えば太古のシャーマンに近い。
 親は心配したが、気が触れたものと思い、逆らわないで、少女に従った。
 少女は学校ではなく、毎朝その魔女小屋へ通い、そこで自習をしている。これは親との約束で、せめて教科書をそのままノートに写すというものだ。少女は素直に従った。
 少女は岬まで徒歩で行く。山道のため、自転車では無理なためだ。家を出るとき、巫女の姿で出る。戻るときもだ。紅白の巫女装束は目立つ。すぐに噂になったが、少女が何等かの病気であることは、何となく知られていたので、触れないようにしていた。
 ところが、蜜柑狩りで来た行楽客などから噂が拡がり、いつの間にか岬の魔女とか、岬の巫女と呼ばれるようになった。
 そういった行楽客相手に、少女は神がかった振りをして自分でも意味の分からないお告げをした。
 実際に少女に起こった異変は一度だけで、その後遺症も薄れ、普通の少女に戻っていた。そのため、霊験もなく、神がかり状態になることもない。
 少女が巫女姿になったのはほんの数ヶ月程度で、その後学校に通う普通の少女に戻っている。
 しかし、岬の魔女の噂が広まりすぎたのか、訪問者が多い。そこで村人は少女に頼み、せめて放課後、夕方まで巫女をやってくれと頼んだ。
 少女は今度も巫女服にするか魔女服にするかと悩んだ。そして地元のもの好きが夕日の魔女で行こうと言い出した。これは放課後にしか来れないためだ。
 しかし、少女はやはり巫女姿が気に入ったと言うより、魔女服が見当たらないためもあってか、巫女服に決めた。
 この内海は夕焼けが見事なことで有名なので、魔女より、巫女の方がによく似合う。そして、呼び名は夕日の魔女となった。
 魔女の方がいいのは、特に何もしなくてもいいためだ。芸をしなくても。
 これで、行楽客の期待通り、岬の魔女は夕日の魔女として復活した。元々は蜜柑畑の物置や直販所だったため、そこに魔女グッズや巫女グッズを置き、少女が売った。
 それは学校を卒業するまで続き、就職先が決まり、都会に旅立つ日まで夕日の魔女をやった。
 そして今は母親となった夕日の魔女は、そんな時代があったことなど忘れていたのだろう。
 
   了

 



2015年9月17日

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