小説 川崎サイト

 

崎津の海神


 崎津山のある崎津村、今は町になっているが、奥の三村というのがある。その三村、それぞれ名はあるのだが、ひとまとめで奥の三村と呼ばれている。崎津山の麓は川が合流する場所で、そこから海へ向かって本流が流れている。海はかなり遠く、その先でまた大きな川と合流する。
 奥の三村は渓谷沿いにあるが、もうここでは川は狭く浅い。取っつきにある村を流れている川も簡単に渡れる。最初の村からさらに川は別れ、それが奥の第二の村へ続き、もう一つの村は、そのまま源流近くまで遡ったところにある。
 既に一番奥の村は廃村で、人は住んでいないが、小さな社があり、そこに海神が祭られている。ただ、御神体は鏡だが、それほど古い物ではない。そのため、これは後付けで、元々何もなかったのではないかと思われる。ある時期は海亀が祭られていたとも言うが、大昔のことで、口伝にすぎない。
 それよりも、廃村で村人はいない。近くの二村は、この海神の社を知っているが、他村の話のため、信仰心はない。奥の三村の入り口にある村に神社があり、三村の村人は、そこの氏子だ。海神については、何かよく分からないらしい。
 今は奥の二村になったが、ここも危ない。そのうち廃村になるだろう。
 山奥で、海の気配など何もないようなところに、何故か海の神様が祭られているのかについては、それほど説明はいらない。崎津の町名は崎津山から来ており、これが全てだろう。ここは昔、港だったようだ。
 海から来た人達が、川を遡り、ここまで来たのだ。崎津山の麓で川は合流する。今見ると、カヌーでも無理かと思えるほど浅い。今はダムや堰ができているが、奥の三村のさらに上流まで行かなければ滝がない。
 昔は道に迷わないように、山の頂上、つまり尾根伝いや川伝いに移動していたようだ。
 海の向こうは大陸。ここまで遡ってきた人達がどの民族かは分からない。
 崎津という名だけ残し、ここに棲み着いた人達の痕跡は、崩れかけた社だけ。当然、この崎津という名も、後の人が付けたようだ。
 
   了
 
 

   

 


2015年9月20日

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